なんでもマルチメディア(412):衛星写真

インターネットで見ることができる地図が増えてきました。地図によって表現や検索方法に工夫があり、見ているだけで楽しいものがあります。
 ポータルサイト大手のグーグルの衛星写真が面白いということが、友人たちとの話題になったので紹介します。ホームページアドレスは http://maps.google.com/ です。地域によって精度が異なりますが、世界中の衛星写真が見られます。自分が住んでいる場所を高空から見下ろした感じは面白いものです。大都市の写真の中には、細かいところまで写っているものがあります。このサイトでは、日本国内の詳しい地図も見られます。
 以前、ヨーロッパ路線の旅客機で、真下を見下ろすカメラの映像を機内のディスプレイに表示していたのを見たことがあります。窓から見下ろす景色とは全く違った感じで、宇宙飛行士になったような気持ちになりました。
 宇宙飛行といえば、大事故で打ち上げが中断していたスペースシャトルが、打ち上げの秒読みになってからのトラブルで立ち往生しています。燃料タンクのセンサーの表示が、満タンと空で反対になったという解説がありました。その原因がまだ分からないということですが、これまでに何度か打ち上げたスペースシャトルはどうなっていたのだろうかと、不思議に思えます。関係者は大変でしょうが、早く原因を解明して、宇宙の新しい情報を届けてくれることを期待しています。
都丸敬介(2005.07.18)

なんでもマルチメディア(411):ICレコーダー

今頃ICレコーダーを取り上げても、話題としての新鮮さはありませんが、長い間口述筆記に使っていたテープレコーダーが故障してしまったので、遅まきながらICレコーダーを使い始めました。使ってみて幾つかのことが分かったので、これからICレコーダーをお使いになる方の参考になればと思って体験を報告します。
 今私が使っているICレコーダーは2台目です。最初購入したものは、テストをせずにブランド名で選んだのですが、期待を裏切られたひどい音質でした。海外旅行に持参したので、帰国してからメーカーにクレームを申し立てようと考えていたところ、帰国途中で紛失してしまいました。ただし、しばらく使った結果弱点が分かったので、別のメーカーの製品を買うことにしました。どちらも1万円前後の品です。
 ICレコーダーが便利なのは、ファイルという名称で、メモ用紙一枚ずつに覚え書きを書く感覚で思いついた言葉を記録できることです。ただし、ファイルの管理方法はメーカーによって異なります。ICレコーダーはかなり長時間の録音ができますが、テープのように録音媒体を取り替えることができません(高額の機種には録音媒体を交換できるものがあります)。そこで、多くの機種が録音データをパソコンに転送できるようになっています。パソコンへのデータ転送や、転送したファイルの管理に必要なソフトウェアはICレコーダーに添付されているので、これを使うと便利です。パソコンに取り込んだファイルは自由に名前を付けられるので、データの管理が楽にできます。
 最初の機種で気になった弱点は、電源スイッチがなかったことです。電源スイッチがないことは、素早く録音を始められる利点がありますが、ポケットや鞄に入れたときに、何かの拍子に録音ボタンが押されて録音状態のままになり、電池が空になることが何度かありました。今使っている製品は電源スイッチがあるのでこうしたトラブルは起こりません。ただし、このスイッチは「ホールド・スイッチ」という名前になっているので、最初は一時停止スイッチかと思いました。
都丸敬介(2005.07.11)

なんでもマルチメディア(410):モンゴルの旅(6)

2004年7月13日(火)
 午前,ウランバートルに戻る。商品が豊富で活気に溢れたスーパーマーケットに案内された。特産のピンクの岩塩を購入。自然史博物館で恐竜の化石などを見た。
 和食レストランで昼食。カシミア工場を見学。ツアーにつきもののショッピングで,5階建ての大きなデパートに案内されたが,格別に興味をひくものはなかった。
 午後6時過ぎ,簡易劇場で歌舞ショーを見た後,隣接した大きなレストランでビュッフェ形式の夕食。ショーはウランバートル・ホテルで見たのと似た内容で,ホテルのほうがよかった。ホテルに戻る途中,市の中央の広場に立ち寄った。北京の天安門広場を小さくしたような感じで,中央に大きな騎馬像が立っている。
2004年7月14日(水)
 朝5時半にホテルを出立し,8時発のMIATモンゴル航空OM501便で帰国の途についた。どこの空港にもある土産物売店の菓子類は,一箱1ドルのゼリー菓子と2ドルのチョコレートだけだった。12時半,定刻に成田空港到着。
モンゴルは何となく懐かしく,安らぎを感じる国だった。
都丸敬介(2005.07.08)

なんでもマルチメディア(409):モンゴルの旅(5)

2004年7月12日(月)
 ウランバートルから北東方向約70kmの山岳保養地テレルジのツーリスト・キャンプに移動。トランクはウランバートル・ホテルに預けて,1泊に必要なものだけを入れたザック1つの軽装。途中,標高2,700mの峠で小休止。眼下にモダンな別荘地域が見えた。峠を下りると国立公園に入る。巨大な岩が重なる山岳地帯の中に,「亀石」という亀の形をした高さ15mの大きな岩がある(写真)。このあたりは,草の中にエーデルワイスを始めとするいろいろな高山植物が咲いている。エーデルワイスはモンゴルの国花である。
 10時にテレルジ・ヒロタというツーリスト・キャンプに着いた。ゲルのほかに木造のロッジや,ホテル,レストラン棟などがある。先着のグループが馬に乗っていた。
 馬の世話や,キャンプの管理をしている人のゲルを訪ねた。ツーリスト・キャンプから電気が引かれていて,ゲルの中にはテレビ,冷蔵庫,電子レンジがあった。馬乳酒とこれを蒸留した強い酒を振る舞われたが,においが強烈だった。大鍋で煮たヨーグルトはおいしかった。
 キャンプの食堂で昼食をとった後,近くの尾根に登った。尾根の反対側は眼下に川が流れ,映画「サウンド・オブ・ミュージック」の風景を彷彿とさせる。高山植物の種類も多い。尾根にいる間に雷が鳴り,黒雲が広がった。ゲルに戻るとすぐに雨が降り始めた。テントの上をはねる雨の音が懐かしい。
 午後7時,レストラン棟のテレビでナーダム祭の相撲トーナメントの準決勝を見ていると,ガイドのナサさんの友人が近くの森の中でキャンプをしているので,そこで夕食にしようということになった。10mほどの幅の橋がない川を渡らなければならなかったが,ナサさんの友人たちが背負ってくれた。行きは何事もなかったが,帰りは妻を背負った立派な体格の若者が川の中で転倒してびしょ濡れになった。ゲルに戻ってからストーブでがんがん薪を燃やして濡れた衣服を乾かした。薪がパチパチはぜる音が心地よい。
 夜12時前,駐車場の電灯が明るかったが,それでも頭の真上を流れる大きな天の川と,懐かしい多くの星がよく見えた。
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都丸敬介(2005.07.07)

なんでもマルチメディア(408):モンゴルの旅(4)

2004年7月11日(日)
 有名なモンゴルの夏の祭典「ナーダム祭」を見た。全国唯一のスタジアムで11時から開会式。騎馬民族らしい騎馬隊による旗の入場から始まり,大統領の開会挨拶,いろいろなマスゲームや民族音楽の演奏などがあった。
 開会式の後,グランドではモンゴル相撲が始まった。参加選手5百人強のトーナメント。グランドで多数の試合が同時に進む。モンゴル相撲は土俵がなく,相手を倒して膝か背中を土につけると勝つ。実力が伯仲するトーナメントの最終段階では,力士が互いに有利な体勢をとろうとして30分以上も経過する試合が続く。一定の時間がたっても勝負がつかないと,審判が中に入って力士を組ませる。こうなると数分で勝負がつく。試合前と,試合後の勝者の儀式が面白い。2日間にわたるトーナメントの結果,日本の大相撲で活躍している白鵬のお父さんが優勝した。
 スタジアムの外の射場で弓の競技が行われていたが,だらだらした感じで,勝負の状況はよく分からなかった。
 ホテルに戻って忙しい昼食をすませてから,30kmほど離れた草原に大競馬を見に行った(添付写真)。6才から13才の少年少女騎手が乗馬する数百頭が参加する30kmレースで,これぞモンゴルという印象。観客席はゴールに近い草原で,延々と続く兵隊の列が支えるロープで、レースのコースと区切られていた。スタート地点は見えないが,上空のヘリコプターの動きでそれとなく馬が近づいてきたことがわかる。やがて,遙か彼方の緩やかな稜線に砂塵が見えた。先頭の馬は,騎手が途中で落馬したので,馬だけが走っていた。優勝したのはこの馬に続いて最後まで競り合っていた2頭の一方だった。ゴール地点は見えなかったが,テレビで繰り返して放送していた。どれが最後の馬か分からなかったが,コースアウトした馬もいた。
 ホテルの夕食では,大食堂のステージでディナーショウがあり,ウランバートル・ホテル以外のホテルの客も大勢いた。モンゴル独特の超低音と普通の声の二声で歌った22才の歌手からサイン付きのCDを買った(20USドル)。少女のアクロバットもすばらしかった。
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都丸敬介(2005.07.06)

なんでもマルチメディア(407):モンゴルの旅(3)

2004年7月10日(土)
 午前中,ブルドからウランバートルに移動。道が悪いことが分かったので,7時半に出発。朝5時に起きたときは,北極星が高い位置にあり,東の空に金星が現れていた。雨が降ったので,道路の土が締まっていて,往路ほど激しい揺れがなく,砂塵が起こらないのがよかった。13時半にウランバートルに到着。
 ウランバートルに戻ったとき,ガイドのナサさんが「電話をかけてくる」といって車を止めた。見ると,コードレス電話の親機のような,アンテナ付き電話機を脇に抱えた人が車の外に立っている。公衆電話機が少ないこの国では,携帯電話ではない固定無線アクセス方式の電話機を家の外に持ち出して,電話貸しの商売をしている人がいるのだ(写真1)。
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 気をつけてみると,街中のあちこちにこのような電話屋がいた。一応,利用料金の相場が決まっているということだが,たいした収入にはなりそうもない。それでもこうした人たちがいることは,この国のかなり厳しい電話事情と就職事情を物語っている。小遣い稼ぎではないのだ。ツーリスト・キャンプでは直径1mほどのパラボラアンテナを見かけた。この広い国では衛星通信が生命線になっていることを実感した。
 レストランで昼食後ホテルにチェックイン。初日にディスコがうるさかったことの見返りにスイートルームを用意してくれた。一休みした後,以前はダライラマの宮殿だった博物館のボグドバーン宮殿を見学。19?20世紀のラマ教の文物が展示されている。中国風の様式の建物と一体になって,なかなか立派である(写真2)。
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都丸敬介(2005.07.05)

なんでもマルチメディア(406):モンゴルの旅(2)

2004年7月9日(金)
 朝8時半出発。古都カラコルムに向かう。ブルドからカラコルムまではおよそ80km。カラコルムの町の入り口に税金徴収所があり,そのすぐそばにエルデニ・ゾー寺院の遺跡があった(添付写真)。108の仏舎利塔が並ぶ白壁に囲まれた広い矩形の場所の一角に,16世紀に建てられたいくつかの寺院建築がある。建物の様式は中国や韓国の寺院と似ている。建物内部の仏像や仏画はみな色鮮やかで,よく見ているとそれぞれに趣がある。25USドルで写真集を購入。若い僧侶が子供たちに携帯電話を見せて説明していた現代的な様子は,不思議に違和感がない光景だった。
 寺の近くにある小さな亀石の遺跡を見た後,昼食のために,草原の中のツーリスト・キャンプに向かった。道がない草原をキャンプに向かって直進しているうちに,車が浅い堀を越えられなくなったので,下車して歩き始めた。車は遠回りをして堀を渡り,まもなく歩いている我々に追いついた。
 カラコルムの町は想像していたよりも小さかった。だらだらと町が広がっているのではなく,見えない壁でもあるかのように、突然建物がなくなり草原になる。町の中心を通り過ぎて,エルデニ・ゾー寺院とカラコルムの町がそれぞれ一望できる,郊外の丘に登り、あらためて広さを感じた。
 ブルドに戻って,一休みしてから乗馬体験。馬に乗る前に,馬主のゲルを訪ねて生活を垣間見た。全員馬に乗り,馬に乗った牧童に手綱を引かれて2時間ほどのツアーをした。いきなりぼこぼこの草原に入ったときはどうなることかと思ったが,直線距離で3kmほど離れた砂丘まで往復した。時間の感覚も速度の感覚もなくなった。
 夕食は,ホルホグという羊の蒸し焼き。乗馬が終わってキャンプに戻ったときに解体していた羊を塩味だけで調理したもの。ジューシーでおいしかった。山のような骨が皿に積み上がった。星空がきれいだった。
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都丸敬介(2005.07.04)

なんでもマルチメディア(405):モンゴルの旅(1)

1年前の2004年7月に、ベストシーズンのモンゴル旅行を楽しみました。シルクロード旅行記に続いて、このときの様子をお知らせします。データ量が増えて恐縮ですが、写真を1枚添付します。写真のファイル形式はJPEGで、できるだけデータ量を減らすようにデータ圧縮符号化処理をしました。
2004年7月7日(水)
 一度は訪ねてみたいと思っていたモンゴルに行ってきた。きっかけはJALの旅行雑誌「Agora」に掲載されていたパックツアーの案内。一年に一度開かれるナーダム祭見物が日程に含まれていたので,迷わずに申し込んだ。一行はツアー参加者9名とガイドの10名。MIATモンゴル航空のOM502便は,定刻の13時30分より少し遅れて出発したが,ウランバートルにはほぼ定刻に到着した。飛行時間は5時間弱。現地ガイドのナサさんは,モンゴル国立大学を卒業した後日本に留学して高崎に3年滞在したという。
 ウランバートル・ホテル泊。ロシア時代に建てられた一流ホテルだが,夜中までディスコの音がうるさかった。後で分かったが,この日が店開きで盛り上がっていたという。ホテルで100ドルを両替したら,17万トゥグルク(Tg)になった。レストランや土産物屋では米ドルが使える。
 ウランバートル空港に到着したときは,日本と同じくらい暑かったが,夜はさわやかに涼しくなった。
2004年7月8日(木)
 午前8時半にホテルをチェックアウトして,バスで市内随一のガンダン寺院を訪問。ウランバートル市は人口76万人で,全国人口の約3分の1が集まっているという。北京やソウルに似た大都市で,市の中心部は整然としている。ガンダン寺は19世紀に建立されたチベット仏教寺院で,ソ連が支配した時代にはかなり迫害されたようだ。観音堂にある高さ25mの観音像は1996年に再建した新しいもの。監視所のような高い建物の上で,二人の僧がホラ貝を吹いて,読経の時間になったことを知らせる。
 寺院拝観後,今夜の宿泊地ブルドへのドライブが始まった。市街地を離れるとなだらかな起伏の草原が始まった。舗装された幹線道路は穴だらけで,昼寝どころではない。緊張していないとドスンという衝撃で腰痛になりかねない。マイクロバスは運転手が個人で購入した,韓国製の中古車で,馬力も弱いが,運転技術はしっかりしている。平均時速は30km程度。すれ違う車はほとんどない。
 数10センチの草に覆われた草原を漠然と想像していたが,草原の草はほとんど地面に張り付いている。3時間ばかり走ったところで昼食休憩。舗装道路から数百メートル離れた草原の中に,建物が一つぽつんとあった。これがドライブイン。外国人向けのコースメニューの昼食がでた。
 ドライブインを出てしばらくすると,道路の舗装工事区間に出た。本来の道路からはずれて草原の中を走る。文字通りオフロード・ドライブだ。車輪の跡が何本もあり,砂埃がもうもうとしている。車には冷房がないが,窓を開けられないので暑い。こんな道を一時間ばかり走って,工事区間が終わったときはほっとした。宿泊地のブルドのツーリスト・キャンプに着いたのは午後6時頃だった。
 ツーリスト・キャンプは,草原の中に,遊牧民の移動住居であるゲルが20ほど建っていた。ゲルは円筒形のテントで,他の国ではパオと呼ばれているものと同じである。キャンプの中央部分には食堂の大きなゲルがあり,共用のトイレとシャワー室がある。ゲルは清潔で,ベッドが3つ入っていた。中央には薪ストーブがあり電気もつく。遊牧民は大地を敬い,傷を付けないために,土を掘った土台を作らず,畑も作らないという。
 夕立があり,見事な二重の虹が出た(添付写真)。日本とモンゴルには1時間の時差があるが,夏時間を実施しているので,現在は時差なし。しかも緯度が高いので日没は9時頃。地平線まで草原なので,日没後もなかなか暗くならず,星が見え始めたのは10時半過ぎだった。ストーブに火をつけなかったが,震えるような寒さにはならなかった。
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都丸敬介(2005.07.03)

なんでもマルチメディア(404):先駆者の視点

1970年代に宅急便事業を始めたことで有名な、元ヤマト運輸会長の小倉昌男氏が亡くなられました。ご冥福を祈ります。宅急便事業が軌道に乗った1980年代の中頃、あるセミナーの講師控え室で、短い時間でしたが、この事業を始めた頃の興味深い話を聞いたことがあります。
 一つは、伝票に届け先の電話番号を書いて貰うかどうかということで長い議論をした結果、電話番号が必要だという結論に達したという話です。荷物を受け付けてから24時間以内に届けるというコンセプトを実践するために、前もって電話で届け先の在宅状況を確認することにした結果、不在持ち帰りを減らすと同時にユーザーの信頼を得たそうです。
 もう一つは、荷物を受け付ける取扱所の数を、郵便局と同程度にするか、米屋と同程度にするかという議論をしたということです。この発想は面白いと思いました。
 スキー宅急便サービスを始めた年に、あるスキー場で、豪雪のためにスキーを積んだトラックが立ち往生するというトラブルが発生し、現地で貸しスキーを確保して何とか急場をしのいだそうです。スキー場では大雪が降ることが念頭になかったと笑っていました。
 しばらく後に、同社の技術担当スタッフから二つの問題について相談を受けました。第一は、集配センターで迷子になった荷物を確実に見つける方法がないかという問題です。第二は、深夜の集配センターでトラックが到着するのを待っている作業者のために、道路を走っているトラックの現在位置を常に把握したいという問題です。現在の技術では、第一の問題は無線タグの応用で、第二の問題はGPSと携帯電話の応用でそれぞれ解決できますが、いまから20年前には大変難しい問題だったのです。
 こうした現場での体験がその後の事業に活かされたはずであり、先駆者の苦労がしのばれます。
都丸敬介(2005.07.02)

なんでもマルチメディア(403):情報セキュリティ

 米国で4,000万という大量のクレジットカード情報が漏洩していたことが分かり、大きな社会問題になりました。情報の漏洩元は、複数のカード会社が共用している与信業務処理専門の企業です。この会社のコンピューターに蓄積されていた、クレジットカードを利用したユーザーのデータが流出したのです。情報漏洩が発生したのは2004年であり、このことに気が付いたのは、2005年4月に、あるクレジットカード会社の不正探知システムが異常を検出したのがきっかけだったということです。この間に、漏洩したカード所有者名、カード番号、および有効期限の情報を使った偽造カードが使われたのです。米国で発生したこの事件の被害は日本にも飛び火しました。この事件で、情報セキュリティが改めて大きな話題になり、企業などのセキュリティ・ポリシーの設定と厳密な運用が指摘されています。
 ところが「情報セキュリティとは何か」というと、必ずしも明確ではありません。セキュリティ・ポリシーを決めるためには、対象とする情報セキュリティの範囲を規定する必要があります。2004年に電子情報通信学会が発行した「情報セキュリティハンドブック」では、「情報セキュリティとはさまざまな攻撃などの脅威から情報を守ることであり、そのための対策を情報セキュリティ対策という。あるいはこの対策を単に情報セキュリティということもある」と述べています。そして、守るべき情報の特性として、機密性(守秘性)、完全性(一貫性、整合性)、および可用性をあげています。また、「情報に対する脅威には、大別して、災害、故障、過失、不正行為がある。広義には、情報セキュリティはこれらの脅威に対する対策を指すことがある」と記述しています。
 この記述からも、情報セキュリティ対策を考えるときの検討範囲が非常に広いことがわかります。企業や個人の情報セキュリティは、専門家あるいは担当者に任せきりにするのではなく、皆で考える問題なのです。
都丸敬介(2005.06.26)