なんでもマルチメディア(402):プレゼンテーションツール

セミナーや学校の講義あるいは会議資料の説明などで、パソコンのプレゼンテーション用ソフトウェア「パワーポイント」を使うことが一般的になりました。
 私も1990年代初期からこのソフトウェアを使ってきました。このソフトウェアは、10数年の間に何度か機能追加や改良が行われてきましたが、依然として満足できないことがあります。それは、説明中の画面に文字や図形を書き込む機能が貧弱で、講義の現場ではほとんど使い物にならないことです。ところが、最近、この悩みが解決されました。
 このコラムを書いている「ハンドレッドクラブ」の最近の会合で知り合った人の会社の製品で問題が解決したのです。これは、ワコム(WACOM)という会社の「ビズタブレット」という製品です。パソコンにつなぐ、縦14cm、横15cm、厚さ12mmのタブレットと付属のペンを使って、パワーポイントの画面に自由に、しかもかなり正確に文字や図形を書き込むことができます。線の太さや色を自由に変えることができるし、書き込みを消すこともできます。
 パワーポイントの普及が始まった頃、「私はこれを使わない」と言った大学の先生がいました。その理由は、「前もって説明用図表を用意しておくと、説明時間が短くなり、時間をもてあましてしまう。黒板に文字や図を書きながら説明すると、時間をたっぷり使える」ということでした。
 私は入手した「ビズタブレット」を大学の講義で使ってみました。前もって用意したパワーポイントの画面に、追加の書き込みをしながら説明したところ、学生の反応がよくなったと感じました。ただし、1画面あたりの説明時間が長くなりました。このようなツールは、eラーニング用教材の作成にも効果的に利用できます。
都丸敬介(2005.06.20)

なんでもマルチメディア(401):シルクロードの旅(8)

6月4日(土)
 9時にホテルを出発して空港に向かい、西安までの国内線に乗る。機内は空席が目立った。中国ではテロ防止のために液体類の機内持ち込みが厳しく制限されている。酒類は没収。ペットボトルの水を保安係の前で飲んでみせるよう要請された。
 西安空港は2年前に改築されてきれいになったが、町からは遠くなった。空港近くのレストランで昼食をすませてから、西安の町に行く途中で兵馬俑坑と楊貴妃ゆかりの華清池を見学。運転手がハイウエイの分岐を間違えて、高速道路を数百mバックで走ったが、車が少ないので何事もなかった。
 兵馬俑坑では、ペルー大統領の視察と時間が重なり、見学開始までしばらく待たされた。待っている間に雨が降り始めた。久しぶりの雨らしい。
 1?3号坑は5年前とほとんど変わっていない。発見者の農民(現在71才)も健在で、相変わらずサイン・サービスをしていた。この地域名産のザクロは花が咲いていた。5年前の秋に訪れてとき、食後のデザートに、甘い大きなザクロが一個、丸ごと出されたのを思い出した。
 華清池は隣接した広い駐車場ができ、観光地としての設備が整った。5年前には人、自転車、荷車、そして自動車が無秩序に混じり合っていた道路は広くなり、歩道も整備された。自転車をほとんど見かけなくなった。
 西安のホテルはハイアット・リージェンシー西安。チェックインしたあと、市の中心部にある大きな餃子店でツアー最後の夕食を楽しんだ。名物の多種類の餃子と赤ワインで大いに盛り上がった。
6月5日(日)
 今日も雨。シルクロード出発点の西門に登り、町を囲む古代の城壁を見た。城壁は一周14kmで、城壁の上の広い道を周回するマラソン大会が開かれるという。玄奘三蔵がインドから持ち帰った仏典を収めた大雁塔の最上階から、シルクロードが始まる道を眺めて旅が終わった。
 西安から成田への直行便は、飛行時間が4時間15分。空いていた。
都丸敬介(2005.06.18)
*都丸敬介シルクロードの旅 特別スライドはこちらをご覧下さい(7月末まで公開中)
サンプル
千仏洞(トルファン).jpg
ウルムチ(天地).jpg

なんでもマルチメディア(400):シルクロードの旅(7)

6月3日(金)
 敦煌の北東にある安西郊外の楡林窟を見学。敦煌と安西の間の距離は約120kmだが、道路工事中のために、敦煌駅がある柳園を迂回したので、楡林窟までは片道280kmの長距離ドライブになった。安西と楡林窟の間に工事中のバラス道路があったが、全体としては幹線道路の整備が進んでいる。国道沿いに1km間隔で置かれている道路里程標の数値が数千kmなのには驚いた。中国の広さを改めて認識した。
 楡林窟の構築開始は6世紀以前であり、7?9世紀の唐時代のすぐれた壁画が有名だ。一般公開されたのは1997年であり、NHKの第一次シルクロード取材には記録されてない。 大地を深くえぐった河の両側の崖に多くの石窟が並んでいる。切り立った断崖で、どうやって工事をしたのかと思う。見学の案内を待っているときに小雨を伴った強い風が吹き、木製のベンチが倒れた。雨が降ると見学できなくなるという。
 並んだ窟の外側にテラス状の通路があり、窟ごとに入り口が設けられているが、各窟は岩をくり抜いた小さいトンネルでつながっている。
 帰路、短い時間ではあるが強風で砂が舞い上がり、車の前がほとんど見えなくなった。
都丸敬介(2005.06.17)

なんでもマルチメディア(400):シルクロードの旅(7)

6月3日(金)
 敦煌の北東にある安西郊外の楡林窟を見学。敦煌と安西の間の距離は約120kmだが、道路工事中のために、敦煌駅がある柳園を迂回したので、楡林窟までは片道280kmの長距離ドライブになった。安西と楡林窟の間に工事中のバラス道路があったが、全体としては幹線道路の整備が進んでいる。国道沿いに1km間隔で置かれている道路里程標の数値が数千kmなのには驚いた。中国の広さを改めて認識した。
 楡林窟の構築開始は6世紀以前であり、7?9世紀の唐時代のすぐれた壁画が有名だ。一般公開されたのは1997年であり、NHKの第一次シルクロード取材には記録されてない。 大地を深くえぐった河の両側の崖に多くの石窟が並んでいる。切り立った断崖で、どうやって工事をしたのかと思う。見学の案内を待っているときに小雨を伴った強い風が吹き、木製のベンチが倒れた。雨が降ると見学できなくなるという。
 並んだ窟の外側にテラス状の通路があり、窟ごとに入り口が設けられているが、各窟は岩をくり抜いた小さいトンネルでつながっている。
 帰路、短い時間ではあるが強風で砂が舞い上がり、車の前がほとんど見えなくなった。
都丸敬介(2005.06.17)

なんでもマルチメディア(399):シルクロードの旅(6)

6月2日(木)
 終日、町の南東方向25kmの場所にある莫高窟の見学。莫高窟は6世紀から13世紀にかけて作られた、塑像と絵画の宝庫である。鳴沙山の麓の崖にある莫高窟と駐車場の間は、広々とした公園になっていて、土産物屋や展示館などがある。大きな門をくぐり、幅が広い河にかかった橋を渡ると、森の中に莫高窟が現れた。莫高窟の第一印象は、よく手入れされた並木道に沿って連なる、パリのアパート群に似ているということだった。
 20世紀の初めに大谷探検隊が撮影した写真では、多階層に並んだ石窟の中にある塑像や壁画が外から見えるが、今は、一つ一つの石窟に扉があり、その外側に長いテラス状の通路ができている。午前9カ所、午後4カ所、代表的な石窟内部をゆっくり見た。窟には、一般入場料に含まれているものと、別料金の特別窟がある。
 カラー写真やビデオで見た窟の内部は、撮影用の明るい照明を使っているが、実物はほとんど照明がないので、かえって印象が強い。とくに、仏像の塑像は神々しいまでに美しい。3体の巨大な仏像には圧倒された。千仏洞というだけに、壁画には千仏を描いたものが多いが、仏典の物語や時代絵巻も多い。多数の研究者が惹き付けられている理由がよく分かる。市内の敦煌博物館には、目玉になるような展示物がほとんどなかった。
都丸敬介(2005.06.16)

なんでもマルチメディア(398):シルクロードの旅(5)

6月1日(水)
 朝8時、ほぼ定刻に敦煌駅に着いた。この列車は、あと二日かけて重慶まで行く。敦煌駅は柳園という町にあり、元の駅名は柳園である。敦煌の町まで128kmあるので、出発前に駅前で朝食を取った。敦煌滞在中のガイドは女性の程さん。専門学校で日本語を学び、ガイドになってまだ1年半程度だというが、かなりしっかりしている。
 ゴビの中に建設された立派な道を時速80?100kmほどの高速で走る。広辞苑ではゴビを「蒙古地方から天山南路に至る一帯の大砂漠」と説明しているが、砂漠という表現よりも沙漠と書くのが適切らしい。なお、現在のモンゴル人は「蒙古」という言葉をきらっていることを、昨年モンゴルを旅行して知った。
 敦煌の辺りには、黒ゴビ、赤ゴビ、青ゴビなど、色違いのゴビがある。敦煌駅から町に向かう途中で最初に通った黒ゴビ地帯は金属資源を豊富に含んでいる。黒ゴビが終わると沙漠らしくなってきた。2,000年以上の昔に構築された狼煙台や長城が見られる。タマリスクが一面に広がるようになると、まもなく敦煌の町に入った。
 敦煌は砂漠の中のひなびたオアシスの町というイメージとはかけ離れた、近代的な都市である。立派な米国式都市ホテル「敦煌太陽大酒店」に宿泊した。
 午後、町の南西85kmにある、唐代の関所「陽関」と大きな狼煙台に行った。途中、車の進行方向や右手に蜃気楼がはっきりと見えた。砂漠の彼方には雪を被った山脈が連なっている。立派な陽関博物館はまだ新しい。
 鳴沙山の一端にある西千仏洞を見た。山裾が断崖になっていて、いくつもの四角い穴の石窟が不規則に並んでいる。長い時代にわたって作られた、それぞれの時代の壁画や塑像が残されている。仏教の物語を絵巻物風に描いた壁画が面白い。石窟内は写真撮影禁止。
 日没が9時過ぎなので、夕食をすませてから、鳴沙山の麓の月牙泉がある場所に出かけた。鳴沙山は砂山のようなゆるやかな起伏の白茶けた山で、西千仏洞がある西端から、莫高窟がある東端まで、100kmくらい続いていることになる。月牙泉があるのは敦煌の中心から数kmの近い場所である。駐車場からラクダに乗って、山の麓を20分ばかり散歩。エジプトのピラミッドのラクダは二人乗りだったが、ここは一人乗りだった。
 山の斜面は細かい砂で覆われていて、麓の平地も歩きにくい。夕日を見るのに適した丘に登るために、砂の上に置いた400段ばかりの梯子がまっすぐのびている。梯子利用料は20元。下り用の橇もある。
 月牙泉は三日月状の余り大きくない池である。近年水位が下がって池が小さくなってきたという。砂漠の中の池で、砂に埋まらないのが珍しいということだ。
都丸敬介(2005.06.15)

なんでもマルチメディア(397):シルクロードの旅(4)

5月31日(火)
 今日は火曜日。「火」に縁がある火焔山の一角にある「ベゼクリク千仏洞」を見学。火焔山の麓を回ると、やがて巨大な砂山のような場所についた。ここも火焔山の一部である。トルファンの町からは北東約50km。観光用ラクダが10頭ばかり客待ちをしていた。
 見学者ゲートを通ると、右側が断崖になっていて、下を川が流れている。千仏洞は、6世紀から14世紀にかけて、この断崖の中腹に作られた寺院である。テラス状の回廊および広場から、幾つかの代表的な石窟に入った。後代の破壊や経年劣化による傷みが激しいが、それでも多くの壁画と見事な色彩が残っている。
 ベゼクリク千仏洞に行った道を戻り「高昌故城」に向かう。西遊記の中で孫悟空が活躍した火焔山は、炎が燃えるように赤い山肌を期待していたが、赤茶けた印象だった。まだ本格的な炎天の季節になっていないからかもしれない。それでも、深くえぐれた無数の縦縞からは、燃え上がる巨大な炎の形を見ることができる。
 ほぼ正方形の城壁に囲まれた高昌故城の目玉は、7世紀初頭、インドに向かう途中の玄奘三蔵法師が説教をした円形ドーム状の講堂を始めとする寺院である。ただし、ドーム以外の寺院の形はもはやわからない。
 高昌故城の近くに「アスターナ古墳群」がある。古墳といっても、土が少し盛り上がっているだけで、墓は地下を掘ったものである。公開されている古墳は、入り口の傾斜路が整備されている。壁画の保存状態は非常によい。日本では高松塚古墳の壁画の劣化が大きな問題になっているが、乾燥した砂漠の力を改めて実感する。
 古墳の主はみなミイラになっている。ここのミイラはエジプトのミイラとは異なり、内蔵を取り出さない。博物館に展示されているミイラはかなり生々しい。
 午後、「額敏塔」あるいは「蘇公塔」という、高さ37mの先細りの円形塔をシンボルとする建物を見た。塔の模様はイスラム様式で、現在もイスラム教のイベントがある日は大勢の信者が集まるという。
 門前市で名産の干しぶどうを買った。干しぶどうの種類は数十種類あり、ブドウの種類や処理方法の違いでいろいろなランクがある。最高級品は木についたまま干しぶどうになった大粒のものだ。ブドウの産地だけにワインもうまい。白ワインはやや甘口で、赤ワインのほうが口に合う。癖がなく比較的軽い。1本120元(約1,600円)だからずいぶん安いが、ビールの大瓶1本10元と比べると贅沢品なのかもしれない。
 夜行列車に乗るまでの時間つぶしに、全員でマッサージ店に行った。猛暑の汗をシャワーで流してから1時間ばかりマッサージを受けた。
 鉄道の駅は町の中心から60kmも離れている。地下水源から町に水を運ぶカレーズと鉄道が直角に交わるので、水路が深い場所に鉄道を通さねばならず、そのために駅が遠くなったという。一等車乗客用待合室は、空港のビジネスクラス・ラウンジよりもはるかに立派だった。ゆったりしたソファがあり、絨毯や玉製品を始めとする土産物を売っている。利用した一等寝台車はコンパートメント形式で、2段ベッドが2つ向き合っている。ベッドにカーテンはなく、上段に登る梯子もない。テーブルを踏み台にしてよじ登った。
都丸敬介(2005.06.14)

なんでもマルチメディア(396):シルクロードの旅(3)

なんでもマルチメディア(396):シルクロードの旅(3)
5月30日(月)
 朝9時半にホテルを出発して、東南方向187kmのトルファンに向かった。ウルムチは天山山脈の北側にあるが、トルファンは南側にある。そして、道は天山山脈の標高5,000mのテングル山と5,445mのボゴダ山の間の低い部分を斜めに通り抜ける。天山山脈を抜けると灼熱のトルファン盆地に入った。進行方向左に鉄道が敷設されていて、山脈を背景にして、時折長い列車が走る。
 道路の両側に多数の発電用風車が現れた。天山山脈から吹き下ろす風が常にあるので、風力発電に最適な場所だという。ただし、風車の品質が良くないので維持費が大きく、電力コストは比較的高いようだ。この地方では石油も出る。ロサンゼルス空港付近の油田と同じ形のカマキリのようなポンプが目に付いた。
 トルファン最高のホテル「トルファン賓館」にチェックインしたあと、外のレストランで昼食。冷えたビールがうまい。最初のビールは食事代に含まれている。
 交河故城遺跡を訪れた。二つの河に挟まれた、幅300m、長さ1.5kmの木の葉のような形状の台地の上に築かれた古代都市で、町の建造物は、みな、掘り下げて作ったものである。大部分の建造物は形が崩れて、元の姿が分からないが、地上に構築した仏教寺院には壁面に彫られた仏像が残っている。
 暑い。40℃にはなっているらしい。トルファン盆地の気温は、夏には50℃を超えるという。このトルファン盆地の生活を支えてきた、地下水路「カレーズ」を見学。ただし、見たのは、カレーズの仕組みを説明する博物館と、見学用のトンネルの中で、厚いガラスを通して水の流れが見えるようなっているものだった。
 トルファンは良質のブドウの産地である。干しぶどうを作るための、多数の通風口がある建物を見学した。
 ホテルの夕食は名物料理ということだったが、すでに食べてきたものと特段の変わりはなかった。食後、屋外ステージで1時間ばかりの民族舞踊ショーを見た。テレビのシルクロードもので見慣れたためか、格別の珍しさも感動もなかった。
都丸敬介(2005.06.13)

なんでもマルチメディア(395):シルクロードの旅(2)

なんでもマルチメディア(395):シルクロードの旅(2)
5月29日(日)
 宿泊した新彊海徳酒店は、市の中心部になる33階建で五つ星の米国型ホテルで、隣接して銀行商用ビルが立ち並んでいる。ウルムチ市内は砂漠の中にあるオアシスの町というイメージとは全く違う近代的な大都市である。ホテルの前の広場で、朝早くから、いくつものグループが太極拳や剣舞をしていた。ホテルの隣の店で買った中瓶のミネラルウォーターは1.5元(約20円)。
 ウルムチ市内から110km離れた山の中にある天池(てんち)を観光。比較的新しい、整備された幹線道路から分かれて、山間の道に入る。道に並行して川が流れ、大木が続くようになると、パオ(円形テント)が目に付くようになった。ただし、パオの多くは観光客向けの設備であり、材料も本格的なフェルトではなく、雨漏り防止のためにビニールをかぶせたものもある。
 まもなく広い駐車場に到着した。巨大な寺院のような観光サービス用建物がほぼ完成していた。ここからは道が狭く急になるので、専用のシャトル・バスに乗り換えた。二人乗りゴンドラのロープウェーがあるが、転落死した人がいたので、60才以上の人の事故には運用側は責任を負わないことにしたという。観光客は多いが大部分が中国人で、日本人を含む外国人はほとんどいない。中国人観光客が多いことは、中国経済発展を象徴しているように思える。
 天池はカナディアン・ロッキーのレイク・ルイーズによく似ている。海抜1,980mで、涼しい。南北3.4km、東西1.5kmの小さい湖だが、天山山脈の雪に覆われた高峰を背景にした景色が美しい。
 町に戻り、日曜日の午後の人出でごった返すバザールを歩いた。食べ物屋台、金物屋、果物屋、パン屋、衣類の店など、どこの国にもあるバザール風景があった。

なんでもマルチメディア(394):シルクロードの旅(1)

なんでもマルチメディア(394):シルクロードの旅(1)
 シルクロードの起点平安から、敦煌、トルファン、およびウルムチを回ってきました。今年はNHKの新シルクロード番組の影響で、この地域に関心が高まっています。数年前に比べれば、かなり簡単に行けるようになったので、これから出かける計画をもっているかたもいると思います。今回の旅行の様子を、複数回に分けて報告します。
2005年5月28日(土)
 JALパック主催のツアー「歴史ロマンに満ちた河西回廊への旅路シルクロード横断の旅」に妻と参加した。ガイドは高橋さん(中国語が堪能な女性)。参加者は14人。全員60才前後から70才代までのシニアー世代。
 コースは、ウルムチ、トルファン、敦煌、西安と、西から東に向かって移動する。
 10時25分発JL781便で北京に行き、ウルムチ行きの国内線に乗り換えた。国内線の出発時間までの時間つぶしに、貸し切りバスで天安門広場に案内された。5年前と比較して、市内の道路や高層建築物の整備が大きく進み、きれいになった。自転車をほとんど見かけない。急速な経済発展を実感する。両替は2万円が1,480元。1元=13,5円。
 北京からウルムチに向かった定員200人ほどの国内線航空機は、ほぼ満席。飛行時間は4時間強。機内の夕食は、麺とご飯のどちらかを選択できた。国内時差がなく、西に向かって飛んでいるので、なかなか外が暗くならないが、午後9時過ぎにウルムチに着陸したときは完全に暗くなっていた。 現地ガイドの趙さん(男性)が迎えてくれた。
都丸敬介(2005.06.11)