何でもマルチメディア(668):スリランカの旅(2)スリランカのお寺

私がスリランカに興味を持ったのは、2009年にインドのサーンチーにある仏教遺跡を訪れた時からです。サーンチーには、仏教の守護者として知られているアショーカ王が、紀元前3世紀に建立した大きな仏塔(ストゥーバ)があります(写真1)。この仏塔に隣接して、スリランカの仏教徒が寄進した集会所のような建物がありました。syashin(1)

 現在のスリランカの人口は約2千万人で、その7割が、北インドを先祖の地とするシンハラ人です。そして、シンハラ人の大部分が仏教徒だということです。

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 写真(2)はスリランカのアヌラーダプラにあるルワンウェリサーヤ大塔と呼ばれる仏塔(ダーガバ)(高さ55m)です。この仏塔の建立には、アショーカ王の王子マヒンダが関わっています。

 写真(1)と写真(2)を並べてみると、初期の仏塔の姿と、仏教がインドからスリランカに伝わった様子がよくわかります。サーンチーは遺跡として保存されていますが、ルワンウェリサーヤ大塔は美しく飾られて、多くの信者が参拝しています。

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 写真(3)は町の中で見かけた現代のお寺と仏像です。この様子から、現在の仏教徒の姿が感じられます。

14・1・29

何でもマルチメディア(667):スリランカの旅(1)シギリヤ・ロック

ミャンマー、タイ、インドネシアといったアジアの国々には素晴らしい仏教遺跡があります。これらの遺跡を見て回っている間に、仏教がスリランカを経由してこれらの国に伝わったことを知りました。そこでスリランカに興味を持つようになり、昨年(2013年)8月に行ってきました。

 スリランカの中央部に、文化三角地帯という、仏教遺跡を中心とする、多くの文化遺産が集まっている場所があります。その一つ、シギリヤという小さな町のジャングルの中に、シギリヤ・ロックという高さ200mの岩山(写真)があります。この岩山は古くから仏教の僧侶の修験場だった場所ですが、5世紀に、当時の王様が宮殿を建てました。

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 この岩山の頂上に行くには、写真の左側の絶壁に作られた1千段の階段を登らなくてはなりません。写真は最上部の鉄製階段を上り下りしている人たちの行列です。

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 写真は頂上に残っている王宮の土台です。周囲は見渡す限りの樹林帯です。今から1500年前にどのような道具や技術を使ってこの岩山の上に巨大な王宮を造ったのか、想像もできません。

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 写真は岩山の中腹にあるオーバーハングした場所の壁から天井にかけて描かれている、シギリヤ・レディと呼ばれる美人画です。ジャングルの中に埋もれていた美女たちが発見されたのは19世紀後半だということです。

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都丸敬介(2014120日)

なんでもマルチメディア(655):カナディアン・ロッキーの風景

 

長く続いた連日の猛暑がようやく収まってきました。猛暑から逃げ出したわけではありませんが、8月下旬にカナディアン・ロッキーに行ってきました。複数の国立公園にまたがって南北に連なるカナディアン・ロッキーの観光の拠点は、南のバンフと北のジャスパーです。

 


 以前行ったときはバンフに滞在して、日帰りで行ける範囲を大いに楽しみました。けれども、一度はジャスパーに行きたいという想いがあったので、今回は山が好きでカナダに渡り、バンフでガイドの仕事をしている日本人の運転で、ジャスパーへの1泊旅行を楽しみました。車は北米生産のトヨタで、日本では売られていないということです。

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 バンフを離れてしばらくすると、バンフとジャスパーをつなぐ山岳観光道路”アイスフィールド・パークウエイに入ります。この道路の長さは約250kmで、交通信号は1つもありません。そのかわり、動物用の立派な道路横断ブリッジがあります。

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 カナディアン・ロッキーは海底が隆起してできた岩山の山脈です。標高2,000mほどの森林限界の上に、2,500mから3,000m級の多数の岩山が連なっています。積み重なった岩の層がはっきり見えます。828日の夜には山に雪が降り、岩の層が一層はっきりと見えました。

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 森林の樹は、大部分がまっすぐに伸びた松です。幹の太さが20cm程度で、樹齢は100年くらいなので、断面を見ても木目が分からないということです。世界自然遺産の名にふさわしい雄大で美しい風景でした。

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都丸敬介(2012929)


なんでもマルチメディア(638):クライストチャーチの大聖堂

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2011222日、ニュージーランドのクライストチャーチで大地震があり、多くの犠牲者が出ました。お気の毒なことです。連日のテレビ放送で詳しく説明されていますが、クライストチャーチは静かで美しい町です。


 写真①はこの地震で崩壊した、町の中心にある大聖堂です。写真②は、尖塔の右にある聖堂正面のステンドグラスを内側から見たものです。

 この大聖堂は1881年に完成したゴシック様式教会です。この写真は20004月に写したものですが、高さ63mの尖塔は今度の地震で崩れてしまいました。

大聖堂広場はヨーロッパの小都市の雰囲気をもっていて、近くに土産物店が軒を連ねています。

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写真③は、モナ・ヴェールという、大富豪の邸宅だった広い庭園です。英国の田舎の館の雰囲気をそのまま保っています。庭の境界を流れている川の名も英国の川にちなんだエーボン川です。この川で、船頭が手こぎをする船(パンティング)に乗りました。シェークスピアの生まれ故郷、英国のストラトフォード・アポン・エーボンの雰囲気とよく似ていて、英国の古き良き時代を感じます。

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 クライストチャーチは南極観測隊の中継基地です。空港から車で10分足らずのところに南極センターがあり、南極大陸や観測隊のことが分かりやすく展示されています(写真④、⑤)。零下5度の部屋や雪上スクーター、ペンギンを始めとする生物の展示、巨大スクリーンによる映像などで、南極の雰囲気を体験しました

都丸敬介(2011224)

なんでもマルチメディア(635):エローラの石窟寺院

インドには多数の古い石窟寺院があります。その中で、最高の文化遺産といわれているのがエローラのカイラーサナータ寺院です。エローラは西インド最大の都市ムンバイから約350km東にあるアウランガバードという都市の郊外にあります。
 エローラには34の石窟寺院があり、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つのグループに分かれています。写真1仏教寺院群です。デカン高原の崖を削って造った石窟であることがよくわかります。
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 写真2と3はエローラ最大のカイラーサナータ寺院(ヒンドゥー教)です。この寺院は崖を横から削ったのではなく、地上から掘り下げて造られたものです。高さ35m、幅60m、奥行き90mの規模は圧倒的な重量感があります。この巨大な彫刻の制作は、クリシュナ1世(在位756年〜775年)の命令で始まり、完成までに100年以上の時間がかかったということです。
この時代にすでに先例や技術があったのでしょうが、全体の設計図がどのようなものであり、どのようにして工事監督や作業者に指示されたのかということはわかりません。写真2や3の構造物が1つの岩としてつながっていることは、実物を見ていると納得できますが信じられません。
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 写真4と5は壁面や寺院の内部にある彫刻の一部です。1つだけでも博物館の目玉展示物になるような彫刻が数えきれないほどあり、それぞれがあるべき場所にあって調和しています。
 カイラーサナータ寺院以外の石窟も、みな規模が大きく、しかも繊細で立派です。
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都丸敬介(2011年1月17日)

なんでもマルチメディア(631):ネパールの寺院

ネパールの首都カトマンズの中心部から少し外れた丘の上に、ヒマラヤ最古の仏教寺院だというスワヤンブナート寺院があります。(写真1) 境内にはいろいろな様式の塔が雑然とした感じで並んでいます。巨大な真っ白の土まんじゅうの上に乗った、四角形の塔の壁面に描かれた大きな目を見て、ヒマラヤ登山記録によく出てくるチベット仏教の寺院を連想しました。

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 市の中心部のダルバール広場は、多数の王宮や寺院に囲まれている賑やかな場所です。寺院は中国や奈良の仏教寺院に似たものが多く、形も色も落ち着いた木造建築です。どの建物にもすばらしい彫刻があります。あちこちに飼い主がいない野良牛が寝そべっている光景はのどかです。(写真2)

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カトマンズから12kmほど離れた古都バクタブルは、15世紀から18世紀にかけて王国の首都の一つだった町で、多くの寺院があります。ニャタポラ寺院(写真3)は5層の基壇の上に5重の塔がそびえる堂々とした建物です。基壇の正面階段の両脇には5種類の像が並び、下から順番に人から神へとレベルが高まります(写真4)。ネパールは気持ちが落ち着く不思議な国です。

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なんでもマルチメディア(623):イタリアの中の小さな国

ita1.JPG2010430日、ミラノから350km離れたサン・マリノに日帰りで行ってきました。サン・マリノは鉄道の幹線から離れていて交通が不便なので、1泊することも考えましたが、旅行会社と相談した結果、運転手つきの車をチャーターして、往復700kmのドライブをしました。

 サン・マリノは4世紀に出現した世界最古の共和国で、現在の人口は31 千人です。1970年代の文献では世界の最小国になっていましたが、インターネットで調べると、現在は国連加盟国の中では小さいほうから5番目になっています。

サン・マリノはアドリア海から10km離れた平地にそそり立つ標高730mの山の上にあります。高速道路から離れてジグザグ状のかなり勾配がある道を上った標高600mのあたりに城壁があり、この城壁の内側全体が世界遺産になっています。

 

ita2.JPG城門を入ると、ホテルやレストラン、みやげ物店が連なっています。写真?は、93日の建国記念日に、参加者全員が4世紀の衣装を着て集まり、地区対抗の弓の競技をおこなう競技場です。手前の3つの台が弓を射る場所です。

アドリア海側が切り立っている狭い尾根に3つの砦があります。写真?は最高地点にある最大の砦です。写真?はアドリア海側の景色で、見晴らしが良い日にはクロアチアまでよく見えるということです。この写真にもかすかに船が見えます。気候がよく、景色が美しく、食べ物がおいしいサン・マリノは,期待どおりの素晴らしい場所でした。

 

 

ita3.JPG都丸敬介(2010521)

なんでもマルチメディア(622):フィレンツェ散歩

2010428日、カメラだけをぶらさげて、ミラノからフィレンツェに日帰りで行ってきました。ミラノとフィレンツェは300km離れていますが、200912月に開通した高速鉄道のユーロスター・イタリアを利用すると、片道1時間45分です。全席座席指定なので、ミラノ発915分でフィレンツェ着11時と、フィレンツェ発18時でミラノ着1945分の切符を日本で買っておきました。フィレンツェの中心部は駅から歩いて行ける距離なので、たっぷり歩き回って、明るいうちにミラノに帰ってきました。fire1.JPG

クーポラと呼ぶ有名なドーム状の屋根があるドゥオーモ(大聖堂)(写真?)の中は単純な構造で、ステンドグラスがなければ大講堂のような感じです。右側の八角堂「サン・ジョヴァンニ礼拝堂」は11世紀の建物です。

ドゥオーモから300mほど離れた、市庁舎になっているヴェッキオ宮殿前の広場で、プラカードを掲げ、ブラスバンドが続く行列に出会いました。ヴェッキオ宮殿の前にはミケランジェロの最高傑作といわれる「ダヴィデ像」の複製があります?。実物はドゥオーモから300mほどのアカデミア美術館の中にあります。

 

fire2.JPGヴェッキオ宮殿に隣接した、フィレンツェ最大の美術館「ウフィツィ美術館」の入り口を通り過ぎてアルノ川に出て、ヴェッキオ橋を見ました(写真?)。橋の上に店が並んでいます。ヴェッキオ橋の先にいくつもの橋が並んでいる景色は、フィレンツェの写真でよく見かけるものです

ウフィツィ美術館にはルネッサンスの巨匠たちの絵画や彫刻がたくさん並んでいます。キリスト教に関するものが多く、ルーブル美術館のような華やかさを感じません。ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」と「三美神」はこの美術館の目玉だけのことがありますが、美術本で見慣れた色彩よりもくすんでいました。この美術館で3時間ほどの時間を過ごしたあと、初夏のような暑い日差しを感じながら飲んだビールは格別でした。

 

 

fire3.JPG都丸敬介(2010515)

なんでもマルチメディア(621):ミラノの今

 今年(2010年)4月26日から5月2日までミラノに滞在して、春のイタリアを楽しんできました。ミラノに最初に行ったのは1972年です。このときはコンピューター技術の国際標準化委員会に出席することが目的でした。その後も何度かミラノを通過しましたが、町の中をゆっくり見て歩く時間はありませんでした。

 

milan1.jpg ミラノの中心は135本の尖塔が林立する大聖堂ドゥオーモです(写真1)。内部では多くの太い石の柱の重量感に圧倒されます。ステンドグラスも見事です。1900年代の最後のころから2000年代初期にかけて行われた長期間の修復作業が終わって、輝くようにきれいになったドゥオーモの姿を見ることができました。この改修工事で屋根に上るエレベーターが設置されたので、大きな石の板で葺いた屋根の上を歩き回ることができました(写真2)。

 

milan2.jpg レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」の壁画があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂は、1回の入場人数と見学時間が厳しく制限されています。入場券の窓口で聞いたところ、2週間先まで売り切れているということでした。ホテルにおいてある半日市内観光バスのパンフレットには、「最後の晩餐」見学保証とありましたから、観光旅行業者が買い占めているのかもしれません。1972年には予約なしで入場でき、いろいろな角度からゆっくり見ることができました。

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  この教会の近くにあるレオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館にはこの絵の実物大複製があります(写真3)。オリジナルとは建物の雰囲気が違いますが、絵をゆっくり鑑賞できます。この博物館にはマルコーニの電信機械をはじめとする、通信技術や、鉄道、航空機、生物科学など、広範囲の展示があります。学習実験室がいくつもあり、子供たちが熱心に勉強していました。

都丸敬介(201055)

なんでもマルチメディア(617):ストーンヘンジ

ロンドンの西に約120km離れた、ソールズベリー平原の平坦な麦畑の中に、巨大な石の遺跡ストーンヘンジがあります。この遺跡はいくつもの謎に包まれている、世界的なミステリーの1つとされています。

stone1.jpg これは、石を円形に並べた単純な構成(写真1:解説書から引用)ですが、?構築の目的は何か、?巨大な石をどこから、どうやって運んだのか、?柱のように立っている石の上に、マグサ石という梁のような石をどうやってのせたのか(写真?)、といった謎を解明するために、多くの学者が挑戦しています。

 この遺跡が構築されたのは、紀元前1900年から1600年までの間とされています。これはエジプトのピラミッド建設の1000年後の時期です。

stone2.jpg 石の円から少し離れたところに、ヒール・ストーンという大きな石が1つあります(写真?)。この石は、長さが6.1mで、推定重量は35トンです。柱のように立っている石の重量は、平均30トン、最大50トンというものです。この石材は、ストーンヘンジの近くにはなく、約200km離れた場所から運ばれたというのが定説になっていますが、どうやって運んだのかは分からないようです。

 ストーンヘンジの役割は、宗教的なものという説と、天文学に関係するという説があります。石の円の中心から見ると、夏至の太陽がヒール・ストーンから昇ることが、両方の説の根拠になっています。

stone3.jpg1960年年代に、英国生まれの天文学者ジェラルド・S・ホーキンズがコンピューターを使って、ストーンヘンジから見た、紀元前1500年の太陽と月の出入り時刻を計算しました。そして、ストーンヘンジ全体が、厳密に計算された、太陽と月の観測設備だという論文を発表しました。

 私は1980年代のある日曜日に、ロンドン発の1日観光バスに乗って、ストーンヘンジに行きました。写真で見た感覚とは違う石の重量感に圧倒されましたが、それ以上に、周囲の広々とした麦畑に、日本では味わえない空気を感じました。

都丸敬介(2010年1月11日)