なんでもマルチメディア(405):モンゴルの旅(1)

1年前の2004年7月に、ベストシーズンのモンゴル旅行を楽しみました。シルクロード旅行記に続いて、このときの様子をお知らせします。データ量が増えて恐縮ですが、写真を1枚添付します。写真のファイル形式はJPEGで、できるだけデータ量を減らすようにデータ圧縮符号化処理をしました。
2004年7月7日(水)
 一度は訪ねてみたいと思っていたモンゴルに行ってきた。きっかけはJALの旅行雑誌「Agora」に掲載されていたパックツアーの案内。一年に一度開かれるナーダム祭見物が日程に含まれていたので,迷わずに申し込んだ。一行はツアー参加者9名とガイドの10名。MIATモンゴル航空のOM502便は,定刻の13時30分より少し遅れて出発したが,ウランバートルにはほぼ定刻に到着した。飛行時間は5時間弱。現地ガイドのナサさんは,モンゴル国立大学を卒業した後日本に留学して高崎に3年滞在したという。
 ウランバートル・ホテル泊。ロシア時代に建てられた一流ホテルだが,夜中までディスコの音がうるさかった。後で分かったが,この日が店開きで盛り上がっていたという。ホテルで100ドルを両替したら,17万トゥグルク(Tg)になった。レストランや土産物屋では米ドルが使える。
 ウランバートル空港に到着したときは,日本と同じくらい暑かったが,夜はさわやかに涼しくなった。
2004年7月8日(木)
 午前8時半にホテルをチェックアウトして,バスで市内随一のガンダン寺院を訪問。ウランバートル市は人口76万人で,全国人口の約3分の1が集まっているという。北京やソウルに似た大都市で,市の中心部は整然としている。ガンダン寺は19世紀に建立されたチベット仏教寺院で,ソ連が支配した時代にはかなり迫害されたようだ。観音堂にある高さ25mの観音像は1996年に再建した新しいもの。監視所のような高い建物の上で,二人の僧がホラ貝を吹いて,読経の時間になったことを知らせる。
 寺院拝観後,今夜の宿泊地ブルドへのドライブが始まった。市街地を離れるとなだらかな起伏の草原が始まった。舗装された幹線道路は穴だらけで,昼寝どころではない。緊張していないとドスンという衝撃で腰痛になりかねない。マイクロバスは運転手が個人で購入した,韓国製の中古車で,馬力も弱いが,運転技術はしっかりしている。平均時速は30km程度。すれ違う車はほとんどない。
 数10センチの草に覆われた草原を漠然と想像していたが,草原の草はほとんど地面に張り付いている。3時間ばかり走ったところで昼食休憩。舗装道路から数百メートル離れた草原の中に,建物が一つぽつんとあった。これがドライブイン。外国人向けのコースメニューの昼食がでた。
 ドライブインを出てしばらくすると,道路の舗装工事区間に出た。本来の道路からはずれて草原の中を走る。文字通りオフロード・ドライブだ。車輪の跡が何本もあり,砂埃がもうもうとしている。車には冷房がないが,窓を開けられないので暑い。こんな道を一時間ばかり走って,工事区間が終わったときはほっとした。宿泊地のブルドのツーリスト・キャンプに着いたのは午後6時頃だった。
 ツーリスト・キャンプは,草原の中に,遊牧民の移動住居であるゲルが20ほど建っていた。ゲルは円筒形のテントで,他の国ではパオと呼ばれているものと同じである。キャンプの中央部分には食堂の大きなゲルがあり,共用のトイレとシャワー室がある。ゲルは清潔で,ベッドが3つ入っていた。中央には薪ストーブがあり電気もつく。遊牧民は大地を敬い,傷を付けないために,土を掘った土台を作らず,畑も作らないという。
 夕立があり,見事な二重の虹が出た(添付写真)。日本とモンゴルには1時間の時差があるが,夏時間を実施しているので,現在は時差なし。しかも緯度が高いので日没は9時頃。地平線まで草原なので,日没後もなかなか暗くならず,星が見え始めたのは10時半過ぎだった。ストーブに火をつけなかったが,震えるような寒さにはならなかった。
mongol01b.jpg
都丸敬介(2005.07.03)

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