なんでもマルチメディア(404):先駆者の視点

1970年代に宅急便事業を始めたことで有名な、元ヤマト運輸会長の小倉昌男氏が亡くなられました。ご冥福を祈ります。宅急便事業が軌道に乗った1980年代の中頃、あるセミナーの講師控え室で、短い時間でしたが、この事業を始めた頃の興味深い話を聞いたことがあります。
 一つは、伝票に届け先の電話番号を書いて貰うかどうかということで長い議論をした結果、電話番号が必要だという結論に達したという話です。荷物を受け付けてから24時間以内に届けるというコンセプトを実践するために、前もって電話で届け先の在宅状況を確認することにした結果、不在持ち帰りを減らすと同時にユーザーの信頼を得たそうです。
 もう一つは、荷物を受け付ける取扱所の数を、郵便局と同程度にするか、米屋と同程度にするかという議論をしたということです。この発想は面白いと思いました。
 スキー宅急便サービスを始めた年に、あるスキー場で、豪雪のためにスキーを積んだトラックが立ち往生するというトラブルが発生し、現地で貸しスキーを確保して何とか急場をしのいだそうです。スキー場では大雪が降ることが念頭になかったと笑っていました。
 しばらく後に、同社の技術担当スタッフから二つの問題について相談を受けました。第一は、集配センターで迷子になった荷物を確実に見つける方法がないかという問題です。第二は、深夜の集配センターでトラックが到着するのを待っている作業者のために、道路を走っているトラックの現在位置を常に把握したいという問題です。現在の技術では、第一の問題は無線タグの応用で、第二の問題はGPSと携帯電話の応用でそれぞれ解決できますが、いまから20年前には大変難しい問題だったのです。
 こうした現場での体験がその後の事業に活かされたはずであり、先駆者の苦労がしのばれます。
都丸敬介(2005.07.02)

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