なんでもマルチメディア(422):アラスカの旅(5)

2005年8月30日(火)
 アンカレッジの東100kmのウィティアーを出発点とする、プリンス・ウイリアムズ湾の氷河観光クルーズに参加。朝9時半にホテルを出発し、湖の畔にあるベギッチ旅行者センターで小休止してからウィティアーに到着。ウィティアーの手前に長さ4kmの一方通行トンネルがあり、かなりの時間待たされる可能性があるということだったが、あまり待たなかった。元は鉄道用のトンネルで、今も鉄道と自動車で兼用している。
 午後1時に出発したクルーザーは、最大時速75kmの双胴船で、スピードを出してもほとんど揺れを感じない。しかしデッキに出ると風当たりが強く、カメラのシャッターを押すのが難しいほどだ。フィヨルドの奥にある氷河の先端を幾つか見て回った。船の近くにシャチやラッコ、アザラシなどが見えると停船する。
 温暖化の影響で氷河の後退が進んでいるということだが、見上げるような氷河の末端が海に崩れ落ちる様子は迫力がある(写真)。流氷の間をラッコが泳ぎ、流氷の上でアザラシが体を休めている。
 クルージングの時間は4時間半。8時頃ホテルに帰着。
2005年8月31日(水)
 午前10時アンカレッジ空港発のJL8801便チャーター機で帰国の途に着いた。ホテルに迎えに来ることになっていたバスが故障したために、小型車に分乗するというハプニングがあり、アンカレッジ空港の安全検査装置が1台しか稼働していないために、検査待ち時間が大きかったことなどのトラブルがあったが、出発時間の遅れはなかった。
 以前は出発ロビーに置かれていた、アンカレッジ空港のシンボル「大きなシロクマの剥製」は、安全検査場所に入るエスカレーターに下にあった。懐かしかった。
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氷河の末端
都丸敬介(2005.09.08)

なんでもマルチメディア(421):アラスカの旅(4)

2005年8月29日(月)
 天気はあまり良くないが、予約していた10時出発のマッキンレー山遊覧飛行機が飛ぶことになった。パイロットを含めて7人乗りの双発セスナに乗る。飛行時間は1時間強。離陸して20分ほどで雲の上に出た。雪に覆われた山々がまぶしい。説明がないので確認はできなかったが、マッキンレー山と思えるかなり高い山の近くを回った。
 飛行場からはロッジに戻らず、アラスカ鉄道の駅に直接送ってくれた。アンカレッジまでのアラスカ鉄道の特急列車は1日1往復。アラスカ鉄道の車両の後に旅行会社所有の2階建て展望車が付く。展望車は2階が座席で1階が食堂。特急といっても速度は非常に遅い。急カーブの連続でスピードを出せないのだろう。
12時20分にデナリの駅を出発し、3時間ばかり走ったところで列車が動かなくなった。1時間くらいしてから、荷物車のブレーキホースが損傷したので修理中という情報が入った。6時20分にタルキートナで停車。タルキートナは大きな町でマッキンレー登山の基地になるという。
タルキートナを出発してしばらくしてから、故障した荷物車を切り離したので、荷物はアンカレッジから車で取りに来ることになったという説明があった。荷物が何時にホテルに着くか分からないということだが、誰も苦情を言わなかった。
 午後10時頃、アンカレッジのマリオット・ダウンタウン・ホテルに着いた。以前、ノルウェーで、ベルゲンからオスローまで8時間くらいの高原列車の旅をしたときにも感じたが、ゆっくり走る列車の窓から、延々と続く山や森を見ていると、完全に時間を忘れてしまう。
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マッキンレー山
都丸敬介(2005.09.07)

なんでもマルチメディア(420):アラスカの旅(3)

2005年8月28日(日)
 午前中、フェアバンクスからバスで3時間ほど南下してデナリ国立公園に移動。以前はマッキンレー国立公園という名称だったが、伝統的な現地語のデナリに変えたという。四国+山口県ほどの広さがあり、山とツンドラが広がる。
 12時過ぎに、国立公園入口にある宿泊場所のマッキンレー・シャレー・リゾートに到着。軽井沢のような雰囲気。比較的新しい旅行者センターで、本館には受付と売店およびレストランだけがあり、宿泊設備のロッジが広い森の中に点在している。そして、本館と各ロッジを巡回するシャトル・バスが走っている。
 午後2時に片道100kmほどのドライブに出発。標高700mほどで森林限界を越えると、ツンドラ地帯が広がる。すでに紅葉が始まっていた(写真)。クマ、ムース、ヒツジなどの野生動物を誰かが見つけると、バスが停まって、皆が豆粒のような動物を捜しまわる。子連れのクマがバスのすぐ後ろを通って悠然とブッシュの中に入っていったときは興奮の歓声があがった。
 5時過ぎに折り返し地点に到着。運転手が皆に熱いお茶を配ってくれた。給湯設備はバスに組み込まれている。自然環境保護のために、道路は一本しかなく、ゴミは全て持ち帰り、飲み残した飲料を地面に捨てることも禁じられている。電柱や看板などの人工的なものが全く目に付かない広大な景色はうらやましい。
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デナリ国立公園
都丸敬介(2005.09.06)

なんでもマルチメディア(419):アラスカの旅(2)

2005年8月27日(土)
 遅めの朝食後ホテルの近くを散策。道路は広いが閑散としている。ゴールデンハート・パークには、最初にこの町に住み着いたという無名の家族の大きな銅像が立っている。水量が豊かなチェナ川の向こう側に白いシンプルな教会が建っている。
 午後3時に出発して、100km離れたチェナ温泉リゾートに向かった。チェナ温泉は、長さ45mの露天風呂(写真)を中心にして、ハイキング、ラフティング、4輪バイクのドライブ、遊覧飛行、キャンプ用テント、ホテルなどの設備が整っている。当たり前のことだが、露天風呂と室内の温泉は水着着用。かまぼこ型建物の氷の博物館の中には、中世をイメージした城と馬、ベッドがある部屋、バーなどが、すべて氷の彫刻で作られていた。
 本館のレストランで夕食をすませてから、アクティビティー・センターという広い待合室のような場所でオーロラを待つ。センターの建物の裏が小さな飛行場になっていて、滑走路がオーロラを見る場所である。10時過ぎにようやく星が見えるようになった。北緯63度の高緯度なので、北極星がほとんど頭の真上にある感じ。北斗七星やカシオペア、天の川とその中にある白鳥座など、まさに満天の星空だ。けれどもお目当てのオーロラは現れず、午前2時に引き上げた。数日前は連続してオーロラが現れたということだが、相手が自然現象ではやむをえない。
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アラスカ・チェナ温泉
都丸敬介(2005.09.05)

なんでもマルチメディア(418):アラスカの旅(1)

アラスカの空気を吸ってきました。アラスカは20年前と比較して、日本からの往来が不便になりましたが良いところです。参考までに最近の状況をお知らせします。
2005年8月26日(水)
 1980年代中頃まで、ヨーロッパ往復にはアラスカのアンカレッジを中継していたが、ヨーロッパ直行便ができてからはアンカレッジを通ることがなくなった。ヨーロッパからの帰路、アラスカ上空で機内から見たオーロラやマッキンレー山を間近に見たいと思っていたが、日本からの直行便がなくなり、アラスカ訪問が遠のいた。ところが、数年前からJALが季節限定でチャーター便を飛ばすようになり、多くの旅行会社がこれを利用するツアーを企画するようになった。その一つ、JALパックのツアーに参加した。
 19時成田発のチャーター便、ボーイング747-400は80%程度座席が埋まっていた。飛行時間は7時間弱。日付変更線を通過したので、出発日の午前8時頃フェアバンクスに到着。入国審査では指紋と顔写真の登録があった。大量の入国者を審査する体制ができていないので、たった1便の入国審査に3時間かかり、出迎えのバスに乗ったときはすでに正午になっていた。機内放送では地上温度6℃ということだったが、寒いという感じはなかった。
グループの総勢は30人強。滞在中の面倒を見てくれるのは、アラスカ在住の日本人女性ガイドのMさん。日本で旅行会社に勤めていたが、アラスカが好きになり、同業だったご主人と結婚してアラスカに住み着いたという。
 昼食前にアラスカ大学の博物館とアラスカ縦断石油パイプラインを見学。博物館は広くはないが、動物の剥製やエスキモーの生活用具などが展示されていた。昼食後ホテルにチェックイン。町の中心部にあるスプリングヒル・スイート・フェアバンクス。部屋の窓から見下ろす場所にフェアバンクス発祥の地ゴールデンハート・パークと遠くの山並みが広がっている。
 夕食後オーロラツアーに出かけた。日没は9時過ぎで、午後10時に集合。車で40分ほどの山中にある日本人Kさん夫妻の手作りロッジでオーロラを待ったが、夕方から広がった雲が晴れず、午前2時過ぎにロッジを引き上げて、3時にホテルに帰着。長い一日だった。
都丸敬介(2005.09.04)

なんでもマルチメディア(417):次世代ネットワーク

米国で毎年開かれている民間企業主催の技術コンファレンスに、次世代ネットワーク(NGN)コンファレンスというのがあります。今年も9月末にワシントンで開催されますが、プログラムを見ると、IMS、ADS、FMC、WiMAXといった、情報通信ネットワークの動向を示す幾つかのキーワードが並んでいます。これらのキーワードは今後5?10年の世界的な情報通信の潮流を示唆していると思えます。
 IMS (IP multimedia subsystem)は第三世代携帯電話の標準化団体「3GPP」が作成した、実時間IPマルチメディア・サービスの規格です。
 ADS (application delivery systems)はWebベースのインタフェースと高速インターネット・アクセスによって実現する、新しい情報ネットワーク・サービスの概念です。
 FMC (fixed-mobile convergence)は固定電話と携帯電話の融合サービスです。これは日本でもすでに話題になっています。
 WiMAX (worldwide interoperability for microwave access)は、無線都市域網(MAN)の標準技術の一つであるIEEE802.16規格として作成された、高速無線アクセス技術です。FTTHやADSLの利用が難しい地域を救済する技術として注目されています。
 これらのキーワードはどれも情報通信インフラ関係のものですが、インフラが変化すると、それを利用する新しいサービスが次々に生まれます。新しい時代の情報通信インフラを利用する放送と通信の融合がすでに進んでいますが、単なる既存サービスの融合だけでなく、新しい概念のサービスの出現が期待できます。これは大きなビジネスチャンスになります。
都丸敬介(2005.08.21)

なんでもマルチメディア(416):スペースシャトル

宇宙飛行士の野口聡一さんが活躍したスペースシャトルのディスカバリーが、8月9日に無事帰還しました。関係者は大変心配だったと思います。
 この時期に合わせるように出版された、スペースシャトル計画は最初から失敗だったという本を読みました。著者が強調しているのは、スペースシャトルを翼をつけた構造にしたことが失敗の根本原因だというのです。翼をつけたことによって、重量が大きくなり、打ち上げ方法に無理が生じたために、信頼性が著しく低下したと指摘しています。翼が役立つのは帰還して着陸するときだけなのだから、パラシュートを使って海に着水する円錐形構造を採用すべきだったと主張しています。
 この指摘にはそうかなと思う点がありますが、全く触れていない幾つかの疑問があります。今回の飛行では、着陸予定地のケネディ宇宙センターが天候不順のために、代替地のエドワーズ空軍基地に着陸しました。代替帰還地はこの他にも用意されています。これは翼と車輪があるからできたことです。パラシュートを使って海に着水する方式でも、複数の代替帰還地を用意できるのか、回収失敗の可能性はないのかといったことについて、どのような検討が行われたのか説明がありません。
 この本ではスペースシャトルの重量に注目していますが、宇宙ステーションに運ぶ機材の大きさについては触れていません。スペースシャトルの事故の影響で、現在は、ロシアの宇宙船を使って宇宙ステーションに交替要員を送っていますが、大きな機材を運ぶことができないでいます。大きな機材を宇宙ステーションに運び、不要になった機材を持ち帰るのにはどのような構造が適しているのか、納得できる説明がありませんでした。
 まもなくスペースシャトル計画は終わるようですが、宇宙ステーションの建設や、これを利用するいろいろな実験計画がどうなるのか、今後もいろいろな話題が出てくることでしょう。興味深いことです。
都丸敬介(2005.08.14)

なんでもマルチメディア(415):モナリザ

最近、ルーブル美術館のモナリザの部屋がリフォームされたというニュースがありました。私が初めてこの絵を見たときは、大部屋の壁に、ほかの絵と並んでむき出しのまま展示されていました。その後で特別展示室に移り、この絵だけが防弾ガラスで保護されるようになりました。絵の前は広くなりましたが、人だかりが激しくなり、かえって見にくくなりました。今度のリフォームでどの程度見やすくなったのか知りませんが、モナリザ自身は幸せになったのかと、つまらない疑問が頭をよぎりました。
 モナリザといえば、1950年代にフランスの文化担当国務大臣になった作家のアンドレ・マルローが、1923年に盗み出そうとして見つかり、3年の禁固刑になったということで有名な、東洋のモナリザがあります。このモナリザは、カンボジアのアンコール・ワットから40kmばかり離れたバンテアイスレイという、小さな寺院の入り口の両脇に彫られている女神の一つで、愛くるしい顔をしています。
 私がバンテアイスレイ寺院を訪ねたのは2003年ですが、数十年前に日本各地で見られた、村の古い寺や神社の雰囲気でした。東洋のモナリザは覆いもなく雨風にさらされていますが、健康そのものの明るさを感じます。この寺院には見ていて飽きない魅力的な彫刻が溢れています。
 アンコール遺跡群見学の拠点になるシェムリアップには、国際水準の立派な観光ホテルがいくつもできています。日本人が経営する現地旅行会社もあるので、幾日か滞在してゆっくり楽しむことをおすすめします。
都丸敬介(2005.08.07)

なんでもマルチメディア(414):ロンドンのテロ事件

今月ロンドンの地下鉄とバスで、2回の爆弾テロ事件が発生しました。たまたま、英国MI5がテロ組織アルカイダの資金源を絶つために、元SAS(英陸軍特殊空挺部隊)の隊員を徴募して、地中海でアルカイダの船を襲撃する作戦を実行するという小説「テロ資金根絶作戦(クリス・ライアン著、ハヤカワ文庫)」を読んでいました。襲撃部隊はダイヤモンドや金を手に入れたけれども、すぐに英国内のアルカイダ組織の報復を受けて、参加メンバーが次々に殺害されるというストーリー展開です。この本が出版されたのは2003年ですが、描かれている英国内のアルカイダ組織と今回の爆弾テロ実行組織にかなりの類似性が見られます。
 今回のテロ事件では、実行犯の特定と拘束が迅速に進んでいますが、その手がかりが、大量に設置されているビデオモニターの記録映像だということに、驚きと同時に不安を感じます。プライバシー保護問題を扱った小説に、1948年に執筆されたジョージ・オーウェルの「1984年」があります。この小説には、個人の言動を常にキャッチするテレスクリーンという監視装置が登場することから、1984年に開かれた国際コンピューター通信会議で特別議題に取り上げられました。
 今回の爆弾テロ事件発生後、街中に設置されたビデオモニターの是非が話題になっています。今のところ必要悪として肯定的に受け止めている人が多いようですが、機器設置や運用について法律で裏付けされた指針がないと、恐ろしいことが起こる可能性があります。
都丸敬介(2005.07.31)

なんでもマルチメディア(413):アイスブレーカー

本棚から取り出した古い本を読みながら、最初に読んだときのことを思い出すことがよくあります。1985年に発行された、新ジェイムス・ボンド・シリーズの「アイスブレーカー」(文春文庫)を久しぶりに読んで、20年前に時間が戻りました。
 国際学会で知り合った、今は携帯電話で有名なノキアの研究開発部長に招かれて、ヘルシンキを訪問したとき、フィンランドを舞台にしたこの本を読み終えたばかりでした。ノキアが手配してくれたホテルの隣が、007のジェームス・ボンドが泊まったことになっているインターコンチネンタル・ホテルだったのです。
 当時のノキアは、通信機器関係では構内電話交換機(PBX)の開発に力を入れていて、研究開発の管理手法について議論をしました。そして、仕事の話が終わった後で、ヘルシンキの郊外を案内してもらいました。
 大作曲家シベリウスが作曲活動をしていたヘルシンキ郊外の家は、描いていたイメージどおりの、森と湖に囲まれた静かでゆったりした環境にありました。この家の近くには、伝統的なサウナ小屋も保存されています。
 午後のお茶を飲みに立ち寄った彼の新築の家には、浴室のほかにサウナ・ルームがありました。電熱式の個人住宅用サウナはうらやましい設備です。
 「フィンランドにも日本よりも優れている先端技術があるから見せてあげよう」ということで、ヘルシンキ湾沿いの造船所をモーターボートで外から見学しました。ここで建造していたのは、ステンレス・スチール製のアイスブレーカー(砕氷船)でした。喫水線から下の塗装がない銀色に輝く船体は今でも印象に残っています。
都丸敬介(2005.07.24)