なんでもマルチメディア(586):IPTV

テレビジョン放送のディジタル方式への全面的な移行の時期が近づき、世の中の関

心が高まってきました。米国ではハワイ州がすでに完全ディジタル化を実施しました

が、おりからの不況の影響で全国のディジタル化移行には難題があるようです。

 
  従来のテレビジョン視聴では、アンテナを用意して放送電波を受信する方式と、

ケーブルテレビの配信サービスを利用する方法がありましたが、最近、第3の方法が

実用になりました。これがIPTV(インターネット・プロトコル・テレビジョン)で

す。通信事業者が提供している、光ファイバー回線のような高速アクセス回線を利用

して、インターネットの標準技術であるIPパケットで映像情報を配信します。

 

 NTTグループは昨年サービスを始めたNGN(次世代ネットワーク)のアプリケーショ

ンの一つとして、“ひかりTV”の名称でIPTVサービスを実施しています。このサービ

スには各放送番組の再送信のほか、ビデオサーバーに蓄積されている多数のビデオを

選択的に視聴できるビデオ・オン・デマンド・サービスがあります。

 

 インターネットを利用するビデオ情報配信は目新しいことではありませんが、IPTV

では従来のビデオ情報配信では保証されてないサービス品質の実現が重視されていま

す。IP電話では、IPネットワークで固定電話なみの良好な音声品質を実現するために

QoS(サービス品質)という評価尺度が重視されましたが、映像配信ではさらにQoE

(体感品質)が重視されています。サービスを提供する事業者の間で良好なサービス

を実現するための競争が活発になることはユーザーにとって好ましいことです。

 

都丸敬介(2009.2.1)

 

なんでもマルチメディア(585):ディジタル・シネマ

映画館で上映する映画の配給を、フィルムの輸送から通信回線によるディジタル伝
送に切換える、ディジタル・シネマ配信が具体化してきました。東宝と角川が今年か
ら映画館にディジタル・シネマ機器の導入を始めて、2012年までに、全スクリーンを
ディジタル化するということです。
カラオケの分野で、通信回線としてISDNを利用する通信カラオケが出現した
のが1992年です。そして、ディジタル・シネマについては、2001年にNTTが最初の配
信実験をおこない、2004年に東京国際映画祭で本格的な上映がおこなわれました。
 通信カラオケが成功した背景には、モデムを使うデータ伝送よりも高速で、通信品
質が安定しているISDNの普及があります。そして、ディジタル・シネマの実用化の背
景には通信品質が良いブロードバンドサービスであるNGN(次世代ネットワーク)の
商用サービス開始があります。
 ディジタル・シネマの標準技術規格であるDCI(ディジタル・シネマ・イニシア
ティブ)の4K規格は、画素数800万(横4,096×縦2,160)です。不正コピー防止のた
めに、映画館に配信するデータを暗号化し、盗撮対策として、盗撮がおこなわれた時
刻と場所を特定できる電子透かしを埋め込むといった機能が組み込まれています。
 この規格の技術であれば、光ファイバー回線を引き込んだ家庭のパソコンでも対応
できるはずです。家でDVDの映画を楽しんでいる多くの人たちが、映画館で上映され
ている新しい映画を家で楽しめる時代が迫ってきました。
都丸敬介(2009.1.25)

なんでもマルチメディア(584):年賀状の季節

1月も後半に入り、年賀状の季節が終わりました。今年もたくさんの年賀状を頂戴

しましたが、喪に服しておられるとの連絡も少なからずありました。私自身70代後半

の後期高齢者ですから、いつ知人の住所録から私の名前が消えてもおかしくないので

すが、私の住所録から親しかった人の名前を削除するのは悲しいことです。

 一方では、最近知り合った人たちからの年賀状で、いくつもの新たな喜びをいただ

きました。指導をしているシニアパソコン教室の受講者で、昨年は手書きの年賀状を

頂いた方から、今年は見事な写真入り年賀状やイラスト入り年賀状をいただきまし

た。昨年の9月にパソコンの学習を始めた人からいただいた、「パソコンで年賀状を

作れました」というメッセージからは喜びが伝わってきました。

 話が変わりますが、古い写真を復元する講座で、いくつかの感動的な出来事があり

ました。小学生時代の集合写真の一部を切り出して拡大していた受講者の一人が、元

の写真では判別できなかった友人たちの顔を見ているうちに、一人一人の名前を思い

出してなみだぐんでしましました。亡くなられたお母様の一枚しかない写真を復元、

複製して姉妹に送り喜ばれたという人や、数代にわたる家族の写真を一枚にまとめた

人がいます。

 シニア世代の人たちの感性とチャレンジ精神に、あらためて感心しています。

都丸敬介(2009.1.18)

なんでもマルチメディア(583):中国の古典

明けましておめでとうございます。

 最近中国では論語をはじめとする古典を勉強する「国学」が盛んになっているとい

うことです。1980年代に中国のコンピューター研究所で数日の講座の講師をしたこと

があります。そのとき、論語の中のいくつかの有名な言葉を引用したところ、大部分

の受講者は知りませんでした。その場で司会者が、引用した言葉の解説をしたことが

強く印象に残っています。後で知ったことですが、文化大革命で中国古典の勉強が禁

止されたことの影響だったようです。

 私は40代の後半から50代の前半にかけて、中国の古典を読みあさったことがありま

す。今でも手元に残っている何冊かの本をときどき拾い読みしています。中でも菜根

譚が気に入っています。1984年に発行された、守屋洋著「中国古典の人間学」による

と、「菜根譚は、江戸時代から現代まで広く日本人に愛読されてきた中国古典」だと

いうことです。守屋氏は「しっかりと自分の立場を確立して外物に支配されなけれ

ば、成功したところで有頂天になることもないし、失敗したところでくよくよするこ

ともない。この世界、どこへ行っても悠々たる態度で対処することができる」という

言葉を解説しています。

 昨今のような混乱した時代になると、企業や組織の人材育成では「孫子」に出てく

るような戦略的なものごとの見方が強調される傾向があります。中国の国学ブームが

何を生み出すのか興味があります。

都丸敬介(2009.1.4)

なんでもマルチメディア(582):西インドの旅(3)

今回のインド旅行の最大の目的は、エローラの石窟群の中にあるカイラーサナータ

寺院を自分の目で見ることでした。エローラの石窟群は西インドの大都市オーランガ

バードから30kmほどの整備された幹線道路の脇にあります。

 この石窟群は、仏教の第1窟から第12窟、ヒンズー教の第13窟〜第29窟、ジャイナ

教の第30窟から第34窟の3グループに分かれています。石窟が掘られている断崖の前

は広い公園になっていて、日曜日のためか、サリーをまとった女性のグループや家族

連れ、小学生から高校生の団体などが沢山いました。

 大部分の石窟は断崖を側面から掘ったものですが、カイラーサナータ寺院は岩山を

掘り下げて、寺院の最上部から造ったという、信じられないような構造物です。高さ

35m、幅60m、奥行き90mの規模は圧倒的な重量感があります。8世紀半ばの756年に着

工し、100年以上の年月をかけてカナヅチとノミだけで作り上げたということです

が、これを作った人たちのエネルギーには敬服します。最初にどのような設計図があ

り、それが作業者全員にどのように伝えられたのか興味がありますが、ガイドブック

や現地で購入した解説書には何も記されていません。

 (写真:エローラ1)のように、この寺院は岩山を掘り下げたものなので、周りの

岩壁と同じ色をしています。このために、写真では全体の構図がよく分かりません、

そこで寺院の輪郭を切り抜いてみました(写真:エローラ2)。背景はオーランガ

バードからムンバイに向かう飛行機で写した雲の上の夕焼けです。

 

erola1.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

erola2.JPG都丸敬介(2008.12.29)

なんでもマルチメディア(581):西インドの旅(2)

20081129()はアジャンタの石窟を見ました。前夜11時半にボパール駅から

寝台列車に乗り、朝の6時半にプシャワール駅に着きました。特急寝台といっても、3

段ベッドの席と2段ベッドの席がびっしり並んでいて、カーテンはありません。私の

席は2段ベッドの上段でしたが、梯子がなく、柱に一つだけついている足かけを使っ

てよじ登りました。駅の近くのホテルで朝食をとり、迎えの車に乗って1時間ほどで

アジャンタ石窟の駐車場につきました。駐車場から石窟群の入り口の休憩所までは専

用の連絡バスに乗ります。ajanta1.JPG

 アジャンタの遺跡は紀元前2世紀から7世紀にかけて造られた、岩壁をくりぬいた石

窟寺院です。U字形の川に沿って、第1窟から第28窟まで28の石窟があります。中国の

敦煌やベゼクリクの石窟とよく似ています

 石窟には寺院窟と僧坊があり、重要な寺院窟では中にはいるのに靴を脱ぎます。未

完成のまま放置された石窟もありますが、完成度が高い石窟では、仏陀の生涯や仏教

の説話などの彫刻や壁画が次々に現れます。壁画の色はかなり劣化していますが、彫

刻はほとんど損傷がありません。

 2時間ほど見学してから、休憩所で昼食をとり。午後は、宿泊地のオーランガバード

までの100kmの道を一気に走りました。道の両側のデカン高原の広い土地には、綿や

トウモロコシ、サトウキビなどの畑が広がっています。血なまぐさいテロ事件が起

こっていることなど全く感じられない穏やかな風景でした。

 

 


Ajanta2.JPG都丸敬介(2008.12.22)

なんでもマルチメディア(580):西インドの旅(1)

広いインドには、各地にヒンズー教や仏教の遺跡が点在しています。2008年11月27日、西インドの大都市ムンバイで同時多発テロ事件が発生した日の夜遅くムンバイに到着して一泊し、翌朝の早い時間にムンバイを離れて幾つかの遺跡を周りました。

 

 午前540分、ムンバイ空港発のボパール行きIC-133便に乗り、8時過ぎにボパール空港に着きました。ボパールの町から車で1時間ほど離れたサーンチーの小高い丘の頂上に、有名な仏教遺跡のストゥーパ(卒塔婆)があります。

 

このストゥーパは仏教の帰依者として有名なアショカ王が紀元前3世紀に建てた後、2世紀ほどの間に現在の姿になったということです。直径3m、高さ16.5mの大きなまんじゅう形ストゥーパが石の塀で囲まれ、東西南北の四カ所に鳥居状の大きな門があります(写真:西インド1-1)。

 



WestIndio1-1.JPG門の柱や梁には仏陀の生涯や説法の物語を描いた精密な彫刻がびっしり描かれています。写真(西インド1-2)は門柱の最上部と梁の一部分です。

 

 大ストゥーパを中心とする一帯は広く清潔な公園になっていて、小さなストゥーパや広い僧院跡、スリランカの信者が建てた建物などがあります。毎年11月の最後の土曜日(私が行った次の日)は数万人の信者が集まる祭りの日だということです。このために、スリランカ風外見の建物には数本の長いロープに多数の旗をつけた飾りつけができていました。 


 

 芝生の庭を歩き回るアヒルの家族連れやブーゲンビリアの鮮やかな赤い葉と白い小さな花を見ていると、同じ国の中で血なまぐさいテロ事件が起きていることが信じられません。

 


WestIndio1-2.jpg 

都丸敬介(2008.12.15)

なんでもマルチメディア(579):ムンバイのテロ事件

去る1127日、西インドのムンバイで同時多発テロ事件が発生した日の夜、成田か

らの直行便で旅先のムンバイ国際空港に着きました。家を出る前にテレビのニュース

放送でテロ事件が起きたことを知っていましたが、途中で立ち寄ったデリー空港では

何事もなく、ムンバイ空港も兵士や警官の姿を見かけませんでした。

 旅行の目的は西インド地方に点在する遺跡を見ることで、翌朝の早い時間にムンバ

イを離れました。その後の旅行のスケジュールはまったくテロ事件の影響を受けませ

んでしたが、テレビではすべての放送局が事件現場からの実況中継を続けていまし

た。事件発生の翌日には、犯人が立てこもった3カ所に事件現場が絞り込まれて、大

勢の市民が成り行きを見つめている様子が報じられました。

 最初はテロリストの数は20人から25人と報じられましたが、実際の犯人は10

人で、9人が射殺され、1人が逮捕されて事件は一段落しました。全員がパキスタン

の訓練施設で訓練を受け、襲撃計画を立てて船で出発し、ムンバイの沖で上陸用の船

に乗り換えたということです。釣り船を乗っ取って、船長と3人の釣り客を殺して上

陸したグループもあったようです。

 私は12月2日の夜にムンバイ国際空港から成田に戻りました。この日は事件現場

の周囲の道路が封鎖されているほかはなにも変わったことがありませんでしたが、事

件の後遺症は大きいようです。写真はテロリストが立てこもったタージマハル・ホテ

ルです。かなり長い時間燃え続けた最上階の部屋の様子が遠くから見てもわかりま

す。ホテルだけでなく、経済、とくに観光産業には大きな影響が残るようです。悲し

いことです。

 

munbai.jpg

 

 

 

 

 

 

 

都丸敬介2008.12.8

なんでもマルチメディア(578):ネットワークのサービス品質

インターネットを利用する電話やテレビジョン放送が始まったころから、音声や映

像がとぎれることを多くのユーザーが体験するようになりました。そして、IPネット

ワークのQoS(サービス品質)が重視されるようになり、さらにQoE(ユーザー体感品

質)が注目されるようになりました。

 QoSの項目には、データ伝送速度、接続にかかる時間、伝送遅延時間、パケット損

失率、など多くの項目があります。QoSパラメーターとよぶこれらの項目は、大部分

が測定あるいは観測データの収集によって個別に数値化できます。ところが、個々の

QoSパラメーターの値が良好であっても、ユーザーが満足するとはかぎりません。

ユーザーの満足度には主観的な要素が入るので、これを数値化することがかなり難し

いのです。

 現在のインターネットを支えているIPネットワークは優れた技術ですが、本格的な

マルチメディア・サービスで安定したQoEを維持するためには、従来のインターネッ

トの設備では不十分です。今年サービスが始まったNGNは良好なQoEの実現を目指して

いますが、まだまだ多くの解決すべき課題を抱えているように見えます。

 重要な課題の一つが、ネットワーク・サービス動作の制御や管理機能と、データ転

送機能の分離です。IPネットワークの最大の特徴は、ネットワーク全体を制御・管理

する機構がなくても自律的にデータ転送がおこなわれることですが、従来の技術のま

までは良好なQoEの実現が困難です。こうした問題に関する啓蒙記事が市販されてい

る専門雑誌でほとんど扱われていないことが気になります。

都丸敬介(2008.11.24

なんでもマルチメディア(577):ニュース放送

好奇心が旺盛だった時代に手当たり次第に読んだ本のページをめくっていると、思

いがけない発見があります。今、机の上にある本は、昭和57年(1982年)に日本放送

出版協会が発行した「テレビ・ジャーナリズムの世界」です。

 この本の主題から外れたところに、ニュース放送の歴史についての解説がありまし

た。以下、興味深いいくつかの記述を引用します。

 「NHKのニュースは、時計の長針が十二時を指すとき、つまり正時に始まるのが原

則である。」、「NHKが独自にニュースを編集して全国放送したのは、昭和五年十一

月一日からであった。(中略) まだ、ニュースは正時に放送するという原則は確立

していない。」 

 ニュースを正時に放送するという原則が確立したのは、定時ニュースの回数が一日

に十一回になった、太平洋戦争中だったそうです。「正時にはニュースというこの原

則は、ニュースが一日の流れのなかで、句読点の役割を果たすことを意味してい

る。」という感覚は現在も生きているのでしょうか。昭和二十六年に民間放送ラジオ

が生まれたとき、「民放ラジオがとった対策は、NHKニュースよりも一刻早く、

ニュースを放送するという民放の“原則”が生まれた。」ということです。

 私は、NHK衛星第一放送の「おはよう世界」を毎朝見ています。短時間に世界のお

もな放送局が注目している出来事を知ることができるのは素晴らしいことです。イン

ターネットからも常に新しいニュースを入手できます。こうした現状を「テレビ・

ジャーナリズムの世界」を執筆した人たちがどう分析しているのか知りたいことで

す。

都丸敬介(2008.11.17