なんでもマルチメディア(531):名刺

シニア世代のパソコン教室で、名刺の作成をテーマに取り上げてみました。名刺というと業務用のものを連想するためか、現役を引退した人や家庭の主婦が名刺を持つことがほとんどありません。けれども仕事とは関係なく役立つことが少なくありません。
 手元の百科事典によると、1560年にヴェネツィアの留学したドイツ人が、帰国の際にお世話になった先生方を訪問し、不在のときは名前を書いた紙片を置いてきたという記録があるということです。このように、初期の名刺は訪問相手が不在のときに置いてくるものだったようです。
 グループ旅行に参加すると、後で写真を送るから住所・氏名を書いて下さいと手帳をだされることがよくあります。旅行でなくても、なにかの会合で出会った人たちに自己紹介をすることがあります。このようなときは名刺を持っていると重宝します。
 パソコン用の印刷用紙には、A4版1枚に10枚の名刺を印刷でき、印刷後にばらばらに切り離せる厚手のものがあります。パソコンを使うと、文字の形や色、配置などを自由に変えること、写真を入れることなどが簡単にできます。いろいろな種類の名刺を作って、名刺を使うときの状況に応じて使い分けることを提案したところ、あっというまに多くの種類の楽しい作品が生まれました。教室では、市販されている名刺作成ソフトではなく、標準的なワープロソフトを使いました。
 余談ですが、写真の名刺判は、19世紀にフランスの写真家が名刺に写真を入れることを考えて特許を取ったときのサイズが、約5.7cm×9.2cmだったことに由来しているということです。
都丸敬介(2007.12.2)

なんでもマルチメディア(530):ミャンマーの人と生活

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ミャンマーで軍事政権に反対する僧侶たちの大規模デモが行われてから間もなく2ヶ月になります。昨年この国を旅して肌で感じた平和な市民生活を思うと、早く健全な民主主義国家になって繁栄することを願わずにはいられません。
 ミャンマーの人口は4,400万人で、85%が仏教徒だということです。短い旅行の間に訪れた場所の多くは仏教遺跡や国民が日常的に参拝している寺院でしたが、隣国のタイとはかなり異なる印象を受けました。
 現地を訪れて初めて知ったミャンマー独自の伝統文化に、生まれた日の曜日を大切にしていることがあります。曜日は、月曜、火曜、水曜の午前、水曜の午後、木曜、金曜、土曜、日曜、の八つあり、それぞれの曜日に対応する動物があります。そして、寺院の中心にある本堂の八方向にそれぞれの動物が祭られています。
 ガイドさんの話によると、多くの人が生年月日から生まれた曜日を割り出す計算表を持っているということです。ガイドさんが調べてくれた私が生まれた日の動物はモグラです。ある大きなお寺で、祭ってあるモグラ(写真1)を拝んできましたが、どんなご利益があったのかはわかりません。
大きな寺院には屋根付きの門前市があります(写真2)。各国で見られる市場あるいはバザールとは全く異なる雰囲気で、浅草寺の仲見世と共通する空気を感じました。
mynmer2.JPGのサムネール画像のサムネール画像< 都丸敬介(2007.11.18)

なんでもマルチメディア(529):ツタンカーメンのミイラ

黄金のマスクで有名な、エジプトのツタンカーメン王のミイラが、昨日(2007年11月4日)に初めて公開されたというニュースが報道されました。昨日はツタンカーメンの墓が、85年前にルクソールの王家の谷で発見された日だということです。
 このニュースを聞いて、今から40年以上前に、ツタンカーメンの黄金のマスクが東京で展示されたときに、長い行列に並んで見たことや、カイロのエジプト考古学博物館でこのマスクに再会したときの感激を思い出しました。
 エジプト考古学博物館には素晴らしい展示品が多数ありますが、なかでもミイラ室に展示されている古代の王や女王のミイラは、今にも話しかけてくるようで、その保存技術には驚きました。この特別展示室は写真撮影が禁止されている聖域です。ミイラ室の中央には、13世紀にアブ・シンベル神殿を建設したラムセス2世のミイラが安置されています。
 パリのルーブル美術館やロンドンの大英博物館にはエジプト文明を伝える素晴らしい遺産が沢山ありますが、エジプト考古学博物館に展示されているツタンカーメンの墓からの出土品と比較すると影が薄くなります。王家の谷にある多数の王墓に描かれている壁画は、そこに行かなければ見られないものです。中国の西域にある石窟の壁画の一部ははぎ取られましたが、盗掘されたエジプトの王墓の壁画は無事だったようです。
 カイロのピラミッドは素晴らしいけれども繰り返して見に行くほどの魅力を感じません。けれども、王家の谷やルクソール神殿などがあるルクソールは、1週間ぐらい滞在したい場所です。
都丸敬介(2007.11.5)

なんでもマルチメディア(528):LPレコード

CDが出現して以来、LPレコードを聴く機会がめっきり減って、いつのまにかレコードプレイヤーもどこかにいってしまいました。最近、若い頃買ったLPレコードのジャケットを見ていて、無性に聴きたくなり、早速レコードプレイヤーを購入しました。この数日はLPレコードにはまっています。
 LP、CD、DVDと3世代の媒体が揃っている、同じタイトルのミュージカル映画やオペラを比べて、LPの思いがけない良さを認識しました。数時間にわたる全曲のDVDを観賞するのは、フルコースのディナーのようであり、なかなか、まとまった時間をとることができません。これに対して、ハイライト部分を編集したLPは午後のティータイムのようであり、気楽に、しかも気持ちを集中して聴くことができます。
 音楽を聴きながら、LPに添付された解説記事や歌詞を読んでいると、改めて多くのことを学びます。CDやDVDに添付されている、電気製品の取扱説明書のような小さなサイズの細かい字の解説と比べると、LPに添付されている解説はどれもおおらかな感じを受けます。これは優れた文化といえます。
 ブロードバンドネットワークの普及にともなって、音楽をダウンロード購入する人が増えた影響で、CDの売上が大きく減少しているようです。音楽という商品の品揃えとコストを考えると、この傾向は当然のことですが、解説記事が伴わないことによる文化の衰退は残念です。
都丸敬介(2007.10.28)

なんでもマルチメディア(522):猛暑

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、秋のお彼岸が近づいたのに、一向に暑さが和らぐ気配がありません。昨日、今日と続けてテニスをしていて、学生時代の真夏の合宿を思い出しました。それでも、35度程度であれば屋外スポーツができるし、体温よりも高温の40度台でも旅行ができるのですから、人間の適応能力には驚きます。
 シルクロードの旅をしていたときに、ガイドから面白い話を聞きました。高温で知られているトルファン盆地のオアシスの町トルファンでは、49.9度以上に気温が上がることがないというのです。気温が50度以上になると、役所を休みにしなければならないという規則があるので、実際の気温が50度以上になっても、公表気温を50度以下にするのだそうです。この話の真偽のほどは確認しませんでしたが、トルファン盆地にある、孫悟空が活躍した火焔山を見ていると、燃えるような暑さが現実味を帯びてきます。
 過日、ギリシャで大規模の山火事がありました。出火原因は放火だということでしたが、暑い地方では自然発火の山火事の跡をみることがよくあります。スペインのバルセロナの郊外に標高1400mのモンセラットという岩山があります。11世紀に建てられた立派な僧院の裏山にケーブルカーで登ったところ、白い岩の間に生えている木が見渡す限り炭のように真っ黒になっていました。猛暑の夏に自然発火で山が丸焼けになったのだそうです。こうしたすさまじい自然を見ると、猛暑といっても日本は温暖なのかもしれません。
都丸敬介(2007.9.16)

なんでもマルチメディア(521):パヴァロッティ

20世紀最高のテノール歌手の一人といわれたルチアーノ・パヴァロッティ氏が9月6日に亡くなったことが、テレビや新聞で報じられました。日本だけでなく世界各国のメディアのトップニュース扱いになったということですから、偉大な歌手だったことを改めて認識しました。昨日行われた葬儀にはイタリア首相も参列したとのことです。
 私がパヴァロッティの歌声に最初に魅了されたのは、米国のホテルの部屋で見たテレビ放送でした。1980年代の初期のことで、正確な年月も場所も思い出せませんが、翌日の仕事の準備を放り出して、素晴らしい声と迫力がある演技に引き込まれたことを覚えています。
 今手元には、パヴァロッティの声や映像が収録されたLD、CD、DVDが何枚かあります。その中の、1971年から1985年にかけて録音された32曲を収録した2枚組のCDは、最盛期の張りがある声をたっぷり楽しめます。このアルバムの最後の曲は、2006年のトリノ・オリンピックの開会式でパヴァロッティが歌い、女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川選手が使ったことで有名になった、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」第3幕の「誰も寝てはならぬ」です。
 1970年代の録音を聞いていると、1960年代に急速に進歩した録音技術が、1970年代には高いレベルに到達したことを思い出します。多くの歌手の最高の歌声や演技をいつでも楽しめることに感謝しています。
都丸敬介(2007.9.9)

なんでもマルチメディア(518):尾瀬

今月30日に尾瀬地域が日光国立公園から分離して「尾瀬国立公園」になることが決まりました。私が最初に尾瀬登山に出かけて、その美しさのとりこになったのは1950年代の初期です。それから、春夏秋冬のすべての季節に何度も尾瀬に行きました。
 今の天皇陛下が結婚された日が臨時の祝日になったので、この日を挟んで尾瀬にスキーに行きました。尾瀬ヶ原の西端にある山の鼻小屋に泊まり、暗いうちに至仏山の山頂までスキーを担いで登り、山頂から一息に滑って降りたことが昨日のことのようです。その後、尾瀬ヶ原を横切り、凍結した尾瀬沼の上を歩いて、長蔵小屋にたどり着いたのは真っ暗になってからでした。
 長蔵小屋の3代目のご主人だった平野長靖さんは、私の職場の友人が高校の同級生だったことから、スキー合宿の世話になり、親しくなりました。長靖さんは尾瀬を環境破壊から守る保護運動で活躍中の1971年12月に、過労で遭難死されました。その数週間前に晩秋の尾瀬を訪ねたのが長靖さんと話をした最後になりました。
 尾瀬の最高峰の燧ヶ岳に登ると、北側に形がよい会津駒ヶ岳が見えます。この山も新しい尾瀬国立公園に入ることになりました。駒ヶ岳の入口にある檜枝岐村には良い温泉と伝統的な郷土芸能の檜枝岐歌舞伎があります。駒ヶ岳の山頂付近は広々とした気持ちの良い場所です。
 国立公園になっても、美しい場所は何時までも自然の姿を保って欲しいと願います。
都丸敬介(2007.8.20)

なんでもマルチメディア(508):ザクロ

家の庭に一本のザクロの木があります。今朝、小さな花が開き始めたのに気付きました。この木は30年前に家を建てたとき、昔の部下の父上から贈られたものです。車のトランクに入れて運んできたものが、いまでは高さが6mほどになっています。大きくなりすぎたので3年前に植木屋さんに頼んで、二股に分かれていた幹の一方と太い枝を切り取ったところ、次の年は一つの花も咲きませんでした。昨年はいくつか花が咲いたけれども実にはなりませんでしたが、今朝の花を見て、今年の秋は久しぶりに甘酸っぱい実を口にできそうな予感がしました。
10年ほど前に、家の前を通りかかった老婦人から、実が付いている枝を一本分けてもらえないかと頼まれたことがあります。家で写生をしたいのだということなので、喜んでで差し上げました。その後、いつの間にか顔を見かけなくなりました。
中国・西安市郊外の兵馬俑や始皇帝陵の付近はザクロの名産地です。最初に訪れたときは収穫期で、道ばたに産地直売の露店が連なっていました。昼食のデザートに直径10センチほどのザクロが一個出てきたのには驚きました。花が咲く季節に訪れたときは、期待していたほどには花が目立ちませんでした。
ザクロの花は華やかではありませんが、近づいて見ると良い形をしています。ザクロの木が最も華やぐのは、新芽が葉の形に成長するときです。赤色系の小さくて柔らかい葉が、濃い緑に変わると花が咲き始めます。
都丸敬介(2007.5.22)

なんでもマルチメディア(502):見果てぬ夢

時間に追われてしばらく旅に出かけないでいると、無性にどこかに行きたくなります。そんなときに、旅行会社から、ネパールのカトマンズを起点にして、ヒマラヤの空気を感じるツアーの案内が来ました。2月と3月の実施計画だったので,2月の申込みをしたのですが、参加者不足で実施されず、3月の計画も中止になってしまいました。今頃は雄大な雪山を見ていたはずなのに、と思うと残念でなりません。
 軽いトレッキング程度であっても、標高が高い場所を楽しむためには体力が必要です。昨年は、グランドキャニオンで高度差200mほどの上り下りを歩きました。こうして残っている体力を確かめながら歩いていると、行きたいところには早く行かなければならないという気持ちが強くなります。
 ニュージーランドの南島で、フィヨルドの上をセスナで飛ぶ遊覧飛行を予約したのが、出発直前に天候の急変のために中止になったことがあります。ここももう一度行ってみたい場所です。幸い、オーストラリアのエアーズロックでは、夕日に真っ赤に染まった広大な場所を2時間ばかり空中から見ることができました。
 アルプスは、モンブラン、マッターホルン、ユングフラウなど、いずれも登山電車やロープウエイで行ける最高点まで行って堪能してきました。でも、ヒマラヤのスケールは想像できません。来年は自分で計画を作ってカトマンズに行きたいと夢を見ています。
都丸敬介(2007.3.26)

なんでもマルチメディア(501):表層雪崩

今年は暖冬で山の雪が少ないにもかかわらず、雪崩による遭難のニュースが何度も報じられました。昨日(3月18日)もスノーモービルを楽しんでいた人たちが雪崩に巻き込まれる事故がありました。この雪崩は表層雪崩だったということです。表層雪崩は固まった雪の上に新しく積もった大量の雪が一気に崩れ落ちる現象で、最も危険な雪崩とされています。
 私は高校生時代に山登りのとりこになり、1950年代から60年代にかけて、時間を作っては上越国境の谷川岳に通いました。この頃、谷川岳の群馬県側の登山口にあった国鉄土合山の家のご主人だった中島さんから、何度も表層雪崩の話を聞きました。
 今でも印象に残っているのは、表層雪崩のことを「ほうら」という話です。雪崩に気がついて「ほうら雪崩だぞ」と言い終わらないうちに、巻き込まれてしまうほど速いことから「ほうら」とよぶということでした。
 谷川岳で最も有名な岩場である一の倉沢の奥にあった山小屋が、表層雪崩の被害にあった跡を見に行ったことがあります。雪の固まりが空中を飛んで、山小屋の2階部分を切り取ってしまったのです。雪崩が通った跡は、一抱えもあるような太い木が何本も、地表から1mくらいの高さですっぱり切られていました。
 雪山を楽しむ道具が進歩しても雪崩は起こります。雪崩を起こしたきっかけがスノーモービルだったとしたら、これは人災です。
都丸敬介(2007.3.19)