なんでもマルチメディア(581):西インドの旅(2)

20081129()はアジャンタの石窟を見ました。前夜11時半にボパール駅から

寝台列車に乗り、朝の6時半にプシャワール駅に着きました。特急寝台といっても、3

段ベッドの席と2段ベッドの席がびっしり並んでいて、カーテンはありません。私の

席は2段ベッドの上段でしたが、梯子がなく、柱に一つだけついている足かけを使っ

てよじ登りました。駅の近くのホテルで朝食をとり、迎えの車に乗って1時間ほどで

アジャンタ石窟の駐車場につきました。駐車場から石窟群の入り口の休憩所までは専

用の連絡バスに乗ります。ajanta1.JPG

 アジャンタの遺跡は紀元前2世紀から7世紀にかけて造られた、岩壁をくりぬいた石

窟寺院です。U字形の川に沿って、第1窟から第28窟まで28の石窟があります。中国の

敦煌やベゼクリクの石窟とよく似ています

 石窟には寺院窟と僧坊があり、重要な寺院窟では中にはいるのに靴を脱ぎます。未

完成のまま放置された石窟もありますが、完成度が高い石窟では、仏陀の生涯や仏教

の説話などの彫刻や壁画が次々に現れます。壁画の色はかなり劣化していますが、彫

刻はほとんど損傷がありません。

 2時間ほど見学してから、休憩所で昼食をとり。午後は、宿泊地のオーランガバード

までの100kmの道を一気に走りました。道の両側のデカン高原の広い土地には、綿や

トウモロコシ、サトウキビなどの畑が広がっています。血なまぐさいテロ事件が起

こっていることなど全く感じられない穏やかな風景でした。

 

 


Ajanta2.JPG都丸敬介(2008.12.22)

なんでもマルチメディア(580):西インドの旅(1)

広いインドには、各地にヒンズー教や仏教の遺跡が点在しています。2008年11月27日、西インドの大都市ムンバイで同時多発テロ事件が発生した日の夜遅くムンバイに到着して一泊し、翌朝の早い時間にムンバイを離れて幾つかの遺跡を周りました。

 

 午前540分、ムンバイ空港発のボパール行きIC-133便に乗り、8時過ぎにボパール空港に着きました。ボパールの町から車で1時間ほど離れたサーンチーの小高い丘の頂上に、有名な仏教遺跡のストゥーパ(卒塔婆)があります。

 

このストゥーパは仏教の帰依者として有名なアショカ王が紀元前3世紀に建てた後、2世紀ほどの間に現在の姿になったということです。直径3m、高さ16.5mの大きなまんじゅう形ストゥーパが石の塀で囲まれ、東西南北の四カ所に鳥居状の大きな門があります(写真:西インド1-1)。

 



WestIndio1-1.JPG門の柱や梁には仏陀の生涯や説法の物語を描いた精密な彫刻がびっしり描かれています。写真(西インド1-2)は門柱の最上部と梁の一部分です。

 

 大ストゥーパを中心とする一帯は広く清潔な公園になっていて、小さなストゥーパや広い僧院跡、スリランカの信者が建てた建物などがあります。毎年11月の最後の土曜日(私が行った次の日)は数万人の信者が集まる祭りの日だということです。このために、スリランカ風外見の建物には数本の長いロープに多数の旗をつけた飾りつけができていました。 


 

 芝生の庭を歩き回るアヒルの家族連れやブーゲンビリアの鮮やかな赤い葉と白い小さな花を見ていると、同じ国の中で血なまぐさいテロ事件が起きていることが信じられません。

 


WestIndio1-2.jpg 

都丸敬介(2008.12.15)

なんでもマルチメディア(579):ムンバイのテロ事件

去る1127日、西インドのムンバイで同時多発テロ事件が発生した日の夜、成田か

らの直行便で旅先のムンバイ国際空港に着きました。家を出る前にテレビのニュース

放送でテロ事件が起きたことを知っていましたが、途中で立ち寄ったデリー空港では

何事もなく、ムンバイ空港も兵士や警官の姿を見かけませんでした。

 旅行の目的は西インド地方に点在する遺跡を見ることで、翌朝の早い時間にムンバ

イを離れました。その後の旅行のスケジュールはまったくテロ事件の影響を受けませ

んでしたが、テレビではすべての放送局が事件現場からの実況中継を続けていまし

た。事件発生の翌日には、犯人が立てこもった3カ所に事件現場が絞り込まれて、大

勢の市民が成り行きを見つめている様子が報じられました。

 最初はテロリストの数は20人から25人と報じられましたが、実際の犯人は10

人で、9人が射殺され、1人が逮捕されて事件は一段落しました。全員がパキスタン

の訓練施設で訓練を受け、襲撃計画を立てて船で出発し、ムンバイの沖で上陸用の船

に乗り換えたということです。釣り船を乗っ取って、船長と3人の釣り客を殺して上

陸したグループもあったようです。

 私は12月2日の夜にムンバイ国際空港から成田に戻りました。この日は事件現場

の周囲の道路が封鎖されているほかはなにも変わったことがありませんでしたが、事

件の後遺症は大きいようです。写真はテロリストが立てこもったタージマハル・ホテ

ルです。かなり長い時間燃え続けた最上階の部屋の様子が遠くから見てもわかりま

す。ホテルだけでなく、経済、とくに観光産業には大きな影響が残るようです。悲し

いことです。

 

munbai.jpg

 

 

 

 

 

 

 

都丸敬介2008.12.8

なんでもマルチメディア(568):記憶に残るホテル(2)

海外旅行のアルバムを見ていると、泊まったホテルのことを昨日の出来事のように思い出すことがあります。はっきり思い出すホテルに共通しているのは、その場所にマッチした特徴を備えていることです。

 


hotelofbrest.jpg フランスのブルターニュ地方にあるフランステレコムのラニオン研究所を訪問したときに、フランステレコムが手配してくれたのが港町ブレストの個人経営の小さなホテル(写真)です。到着したときに、気に入った部屋を選びなさいといって、いくつかの部屋を案内してくれました。翌朝、早い時間の列車に乗るというと、夕食後に翌日の朝食を部屋に運んできて、タクシーを手配しておいたから、裏口から黙って出ていくようにとのことでした。この気配りには感激しました。

 1972年にミラノで開かれた国際会議に参加したとき、週末の休日を利用して、スイスのツェルマットにマッターホルンを見に行きました。ミラノを朝出発した列車がシンプロン・トンネルを通ってスイスに入り、一度乗り換えてツェルマットについたときには午後3時を過ぎていました。駅の近くの喫茶店の従業員に紹介してもらった宿は、家族経営の小さなペンションでした。日本人が泊まるのは初めてだということで、好奇心が旺盛な10歳くらいの男の子がつききりで話しかけ、町を案内してくれました。

 このときは、夕方のわずかな時間しかマッターホルンが見えませんでしたが、2001年にツェルマットに数泊したときは、毎日部屋のテラスからマッターホルンを眺めて堪能しました(写真)。

 

 

 


mattahorn.jpg都丸敬介(
2008.9.1

なんでもマルチメディア(566):会津の温泉めぐり



oouchiyado.jpg連日の暑さから逃避して山の空気を吸いたくなり、お盆休みが始まる前の道路がすいている間に、福島県の会津若松にある東山温泉と、栃木県の鬼怒川の奥にある湯西川温泉の二か所の温泉を回ってきました。どちらも古い歴史がある有名な温泉ですが、古い温泉の雰囲気がどのくらい保たれているのか興味がありました。

 東京から会津若松に行くには東北自動車道から磐越自動車道に入るルートと、常磐自動車道から磐越自動車道に入るルートがありますが、今回はあまり利用したことがない常磐自動車道経由のルートを選びました。常磐自動車道のいわきジャンクションから磐越自動車道に入ると走っている車がほとんどありません。片側1車線の対面交通区間がありますが、片側2車線化の工事が進んでいて、今年度中に完成するようです。

 東山温泉は会津若松の市街地のはずれにありますが、温泉地区に入ったとたんに山と渓流に囲まれた別世界になります。小原庄助さんゆかりの、ウナギの寝床のような木造建築の温泉宿で、久しぶりに渓流の音に包まれました。

 湯西川温泉は平家の落人が住み着いたところです。平家の落人がこの地にたどりついたルートは会津若松からぐるりと回ったということです。会津若松から日光街道・西会津街道を経て、五十里湖から湯西川温泉にいたる道路はよく整備されていて、快適なドライブができました。このルートには茅葺き屋根の集落として人気がある、江戸時代の宿場「大内宿」(写真)や、水と風に浸食された岩の塔が立ち並ぶ「塔のへつり」(写真)があります。
tounoheturi.jpg

 湯西川温泉では、平重盛の六男を祖とする25代目の当主が経営する宿に泊まりました。夕食後、渓流を挟んだ対岸の小さな舞台で演じられた平家琵琶の演奏を楽しんだ後、深夜まで北京オリンピックの開会式の実況中継を見ました。

都丸敬介(2008.8.17

なんでもマルチメディア(545):ネパール旅行記(5)

22()

 早朝6時半のヒマラヤ遊覧飛行機に乗るために、545分にホテルを出た。頭上にはっきりした月が出ていたが、620分頃から、濃い霧が滑走路の上を覆ってきた。空港は閉鎖になり、遊覧飛行だけでなく、定期便の離着陸もできなくなった。出発待合室で4時間待って、10時半にようやく飛び立った。


 遊覧飛行機は
30人乗りだが、全員が窓側の席に着けるように、19人に制限していた。搭乗券の行き先にMOUNTAINと書いてあるのが気に入った。飛行時間は1時間だが、離陸してすぐにヒマラヤの連山がぐんぐん近づいてきた。機内で配られた案内図の写真と実物を照合しながら写真を写すのが忙しい。最高峰のエヴェレストはさすがに貫禄がある (写真ネパール5-1) 。交代でコックピットに案内された。折り返し地点の直前にコックピットに入ったので、折り返すときに山岳映画のように、山肌がぐいぐい近づいてくるのを体験できた。ヒマラヤ山脈は高さも奥行きも桁違いに大きい。

 カトマンズに戻って、ネパール最大のヒンズー教寺院のパシュパティナートを訪れた。川に面したこの寺の境内にはヒンズー教徒しか入れないが、対岸の高台から寺全体を見下ろせる。


川に沿って、火葬台がいくつも並んでいる。石造りのがっしりした台が
1つの火葬台になっている。薪を並べてその上に死体を置き、藁のようなものをかぶせて火をつける。2時間ほどたって死体が完全に灰になると、火葬場の人が箒で灰や燃え残りの薪を川に掃き落とし、川の水を汲んで火葬台を洗い清める。周りには死者の関係者は誰もいない (写真ネパール5-2) 。寺域には薪を買う金がない人や火葬を望まない人の死体を土葬にする広い場所がある。どこに埋めるかは自由だという。比較的新しい土葬跡には小さな土まんじゅうや目印の石があるが、墓を作る習慣はない。

 残り時間はカトマンズの町中を歩き、最後の夜を楽しんだ。

都丸敬介(2008.3.18)

なんでもマルチメディア(544):ネパール旅行記(4)

130()21()

 130()は朝から雨。10時にホテルを出て、タクシーで市内見物。チベット人の難民キャンプの近くある、川の水が岩を浸食して穴をあけた滝や洞窟などを見た。どれもこぢんまりとしていて迫力はないが、町中の観光場所としては貴重なのかもしれない。

 2004年にオープンしたという山岳博物館は敷地が広く、展示館の建物も大きい。庭にクライミングの練習場がある。展示館には1956年にマナスルに初登頂した日本山岳会登山隊の装備やエヴェレストに女性で最初に登頂した田部井淳子さんの装備が展示されている。マナスル登頂が、敗戦からの復興期に入った日本人に大きな感動と力を与えてくれたことを思い出した。装備の中の飯ごうが印象的だった。展示品の中に、ヒマラヤの清掃に取り組んでいる野口健さんが拾い集めたボンベなどの廃棄物が積み上げられていた。

 131()はホテルで用意してもらった弁当を持って、朝8時に車でハイキングに出かけた。晴れているがヒマラヤの山は見えない。1時間走って、チャンドラコットという村に着いた。段々畑や共同水場などを見ながら、しっかりした石畳のなだらかな上り道を1時間弱歩くと、見晴らしがよい場所に出た。展望台や学校があり、キャンプをする人も多いという。雲が微妙に変化して、アンナプルナやマチャプチャレの頂上がほんの少しの間見えた。珍しい猿が菜の花畑の中を走り回っていた。

 チャンドラコットからさらに進み、峠を越え、大きな川を渡ってバグルン村に着いた。暖かかったので、大きな川と段々畑を見下ろす丘の枯れ草の上で弁当を広げた。春の信州の高原のようにのどかで、風もなく暖かかった。姿を見せないヒマラヤの山をかなりはっきりと想像できた。(写真ネパール4-1)

 

nep4-1.JPG

21()は朝615分にホテルを出て、標高1,592mのサランコットの丘に行き、ヒマラヤの夜明けを間近に見た。高い山頂から順番に輝き始める光景は神秘的である(写真ネパール4-2)。この後、午前中にカトマンズに戻った。今度は飛行中ずっとヒマラヤの山脈を見続けることができた。

 

 

 


都丸敬介(
2008.3.17)

なんでもマルチメディア(543):ネパール旅行記(3)

129()

 ガイドブックに出ていた超小型飛行機でヒマラヤの遊覧飛行をしたかったので、昨日のうちに朝の早い時間のフライトを予約した。

 8時にホテルを出て、空港まで歩いて行き、8時半に超小型機のモーターグライダーに乗った。二人乗りスクーターに大きな羽をつけたようなロシア製の飛行機で、パイロットと二人で乗る。3機のうち1機は格納庫に入っていて、飛べるのは2機しかない。用意されている上下の防寒服を着てヘルメットを被る。パイロットの前に風防があるだけなので、上空に昇るとかなり寒い。カメラのシャッターを切るのも手袋をしたままだ。

 旅客機と同じ滑走路を使って離陸すると、標高800mの地上から4,000m位の高度まで一気に上昇した。非常に乗り心地がよい。右翼の先端にカメラがついていて、シャッターを切るときは、カメラのほうを見るようにパイロットが指示する。(写真ネパール3-1


nep3-1.JPG 

マチャプチャレの左右に広がる、アンナプルナやダウラギリの名峰が神秘的に美しい。湖の上を横切って降り始めたときに、大きな翼を広げた鷲とすれ違った。

 スイスの湖のようなフェワ湖畔の野外レストランで昼食。食後、湖の対岸の丘の上にある日本山妙法寺に車で行った(写真ネパール3-2)。ガイドブックにはポカラの町から妙法寺まで行く道は半日のハイキングコースとあるが、最近、頂上近くまで車で登れるようにのだという。車を降りて、美しい段々畑を見ながら急な道を20分ほど歩くと、1,113mの丘の頂上についた。

 フェワ湖を挟んでポカラの町全体を見渡せる。泊まっているホテルもよく分かった。しかし残念なことにヒマラヤの山々は雲に隠れて見えなかった。今の時期は乾期で、ヒマラヤ旅行に適したシーズンとされているが、高い山がよく見える時間帯はかなり少ない。今朝モーターグライダーで飛べたのは幸運だったようだ。

 

 


nep3-2.JPG都丸敬介(
2008.3.12)

なんでもマルチメディア(542):ネパール旅行記(2)

128()

 ホテルの屋上が最高のヒマラヤ展望台。6時半に展望台に出ると、東の空に金星が輝いていた。7時頃に朝日を受けた高い山頂が輝き始めた。北西から北東に向けて、130度くらいの広がりで白い山脈が連なる(写真ネパール2-1)。


遙か彼方のエヴェレストを確認した。

 空がすっかり明るくなると、雲が出始めて山が薄れてきた。十分に展望を堪能したので、食堂で朝食にした。食堂の広い窓を通してヒマラヤが見える。

 10時にホテルを出て、カトマンズに戻る道の途中にある古都バクタブルに立ち寄った。15世紀から18世紀にかけて王国の首都一つだった町で、多くの寺院がある。ニャタポラ寺院は5層の基壇の上に5重の塔がそびえる堂々とした建物である。基壇の正面階段の両脇には5種類の像が並び、下から順番に人から神へとレベルが高まる。(写真ネパール2-2

 


nep2-2.JPG 町の建物は
4階から5階の煉瓦積みで、隣同士がしっかりつながっている。道幅は車一台が通れる程度だが拡張する余地は全くない。

午後2時頃の航空機でカトマンズからポカラに移動。ポカラはアンナプルナ(8,091m)、マナスル(8,163m)、ダウラギリ(8,167m)といった名山が集まっている中央ネパールの登山基地として有名な町である。カトマンズとポカラの間の飛行時間は1時間弱で、便数もかなり多い。ヒマラヤが見える進行方向右側の座席を確保したが、山は雲に隠れて見えなかった。

空港のすぐ近くのホテル・ポカラ・グランデにチェックイン。雲がかかっていてヒマラヤの山が見えなかったが、ロビーでウエルカムドリンクを飲んでいる間に、ホテルの玄関の正面にマッターホルンによく似た形の大きな山が現れた。ポカラの象徴とされているマチャプチャレ(6,993m)だ。

都丸敬介(2008.3.4)

なんでもマルチメディア(541):ネパール旅行記(1)

2008127()

 バンコク発1045分のタイ航空TG-319便に乗り、3時間強でカトマンズに到着。入国審査は簡単に終わったが、荷物コンベアが故障したこともあり、預けた荷物が出てくるまでに1時間以上かかった。旅行会社に手配を頼んでおいた現地ガイドのジーバンさんが運転手と一緒に出迎えてくれた。ジーバンさんは日本語が上手で、研修のために数ヶ月日本(松戸)に滞在したことがあるという。

 カトマンズ市内のスワヤンブナート寺院と町の中心部のダルバール広場を見てから、郊外のナガルコットの丘にあるクラブ・ヒマラヤ・ナガルコット・ホテルに向かった。

市の中心部から西側に少し外れた丘の上にあるスワヤンブナート寺院(写真ネパール1-1)はヒマラヤ最古の仏教寺院だという。巨大な真っ白の土まんじゅうの上に四角い壁面を持つ塔が乗った様式は珍しい。四角形の塔の壁面に描かれた大きな目を見て、ヒマラヤ登山記録によく出てくるチベット仏教の寺院を連想した。

 町の中心部のダルバール広場は、いろいろな様式の王宮や寺院に囲まれていて、人通りが多く賑やかだ(写真ネパール1-2)。寺院は中国や奈良の仏教寺院に似たものが多い。形も色も落ち着いた木造建築で、どれも彫刻がすばらしい。あちらこちらに飼い主がいない野良牛が寝そべっている。

nep1-2.JPG
 宿泊するホテルがあるヒマラヤの展望台ナガルコットはカトマンズの中心部から東に30kmほど離れている。カトマンズ市内は車が多く、幹線道路では無秩序に車がひしめいている。中心部から外れると道路の舗装部分と未舗装分の境界があいまいになり、事故が起こらないのが信じられないほど神業的に車が右往左往している。

 郊外に出て順調に走り始めると、道の勾配が急になった。ナガルコットの標高は2,100mあり、カトマンズから1,000mくらい登ることになる。段々畑が広がるこのあたりは、ガイドブックによると、良いトレッキングコースらしい。

 泊まるホテルはナガルコット最高級のクラブ・ヒマラヤ・ナガルコット。大きなログハウスの感じで、部屋はアメリカやカナダの山岳リゾートホテルのようだ。夕食はビュッフェスタイル。ヒマラヤビールがおいしかった。宿泊客の大半が韓国人の団体で賑やかだった。

都丸敬介(2008.3.2)