なんでもマルチメディア(545):ネパール旅行記(5)

22()

 早朝6時半のヒマラヤ遊覧飛行機に乗るために、545分にホテルを出た。頭上にはっきりした月が出ていたが、620分頃から、濃い霧が滑走路の上を覆ってきた。空港は閉鎖になり、遊覧飛行だけでなく、定期便の離着陸もできなくなった。出発待合室で4時間待って、10時半にようやく飛び立った。


 遊覧飛行機は
30人乗りだが、全員が窓側の席に着けるように、19人に制限していた。搭乗券の行き先にMOUNTAINと書いてあるのが気に入った。飛行時間は1時間だが、離陸してすぐにヒマラヤの連山がぐんぐん近づいてきた。機内で配られた案内図の写真と実物を照合しながら写真を写すのが忙しい。最高峰のエヴェレストはさすがに貫禄がある (写真ネパール5-1) 。交代でコックピットに案内された。折り返し地点の直前にコックピットに入ったので、折り返すときに山岳映画のように、山肌がぐいぐい近づいてくるのを体験できた。ヒマラヤ山脈は高さも奥行きも桁違いに大きい。

 カトマンズに戻って、ネパール最大のヒンズー教寺院のパシュパティナートを訪れた。川に面したこの寺の境内にはヒンズー教徒しか入れないが、対岸の高台から寺全体を見下ろせる。


川に沿って、火葬台がいくつも並んでいる。石造りのがっしりした台が
1つの火葬台になっている。薪を並べてその上に死体を置き、藁のようなものをかぶせて火をつける。2時間ほどたって死体が完全に灰になると、火葬場の人が箒で灰や燃え残りの薪を川に掃き落とし、川の水を汲んで火葬台を洗い清める。周りには死者の関係者は誰もいない (写真ネパール5-2) 。寺域には薪を買う金がない人や火葬を望まない人の死体を土葬にする広い場所がある。どこに埋めるかは自由だという。比較的新しい土葬跡には小さな土まんじゅうや目印の石があるが、墓を作る習慣はない。

 残り時間はカトマンズの町中を歩き、最後の夜を楽しんだ。

都丸敬介(2008.3.18)

なんでもマルチメディア(544):ネパール旅行記(4)

130()21()

 130()は朝から雨。10時にホテルを出て、タクシーで市内見物。チベット人の難民キャンプの近くある、川の水が岩を浸食して穴をあけた滝や洞窟などを見た。どれもこぢんまりとしていて迫力はないが、町中の観光場所としては貴重なのかもしれない。

 2004年にオープンしたという山岳博物館は敷地が広く、展示館の建物も大きい。庭にクライミングの練習場がある。展示館には1956年にマナスルに初登頂した日本山岳会登山隊の装備やエヴェレストに女性で最初に登頂した田部井淳子さんの装備が展示されている。マナスル登頂が、敗戦からの復興期に入った日本人に大きな感動と力を与えてくれたことを思い出した。装備の中の飯ごうが印象的だった。展示品の中に、ヒマラヤの清掃に取り組んでいる野口健さんが拾い集めたボンベなどの廃棄物が積み上げられていた。

 131()はホテルで用意してもらった弁当を持って、朝8時に車でハイキングに出かけた。晴れているがヒマラヤの山は見えない。1時間走って、チャンドラコットという村に着いた。段々畑や共同水場などを見ながら、しっかりした石畳のなだらかな上り道を1時間弱歩くと、見晴らしがよい場所に出た。展望台や学校があり、キャンプをする人も多いという。雲が微妙に変化して、アンナプルナやマチャプチャレの頂上がほんの少しの間見えた。珍しい猿が菜の花畑の中を走り回っていた。

 チャンドラコットからさらに進み、峠を越え、大きな川を渡ってバグルン村に着いた。暖かかったので、大きな川と段々畑を見下ろす丘の枯れ草の上で弁当を広げた。春の信州の高原のようにのどかで、風もなく暖かかった。姿を見せないヒマラヤの山をかなりはっきりと想像できた。(写真ネパール4-1)

 

nep4-1.JPG

21()は朝615分にホテルを出て、標高1,592mのサランコットの丘に行き、ヒマラヤの夜明けを間近に見た。高い山頂から順番に輝き始める光景は神秘的である(写真ネパール4-2)。この後、午前中にカトマンズに戻った。今度は飛行中ずっとヒマラヤの山脈を見続けることができた。

 

 

 


都丸敬介(
2008.3.17)

なんでもマルチメディア(543):ネパール旅行記(3)

129()

 ガイドブックに出ていた超小型飛行機でヒマラヤの遊覧飛行をしたかったので、昨日のうちに朝の早い時間のフライトを予約した。

 8時にホテルを出て、空港まで歩いて行き、8時半に超小型機のモーターグライダーに乗った。二人乗りスクーターに大きな羽をつけたようなロシア製の飛行機で、パイロットと二人で乗る。3機のうち1機は格納庫に入っていて、飛べるのは2機しかない。用意されている上下の防寒服を着てヘルメットを被る。パイロットの前に風防があるだけなので、上空に昇るとかなり寒い。カメラのシャッターを切るのも手袋をしたままだ。

 旅客機と同じ滑走路を使って離陸すると、標高800mの地上から4,000m位の高度まで一気に上昇した。非常に乗り心地がよい。右翼の先端にカメラがついていて、シャッターを切るときは、カメラのほうを見るようにパイロットが指示する。(写真ネパール3-1


nep3-1.JPG 

マチャプチャレの左右に広がる、アンナプルナやダウラギリの名峰が神秘的に美しい。湖の上を横切って降り始めたときに、大きな翼を広げた鷲とすれ違った。

 スイスの湖のようなフェワ湖畔の野外レストランで昼食。食後、湖の対岸の丘の上にある日本山妙法寺に車で行った(写真ネパール3-2)。ガイドブックにはポカラの町から妙法寺まで行く道は半日のハイキングコースとあるが、最近、頂上近くまで車で登れるようにのだという。車を降りて、美しい段々畑を見ながら急な道を20分ほど歩くと、1,113mの丘の頂上についた。

 フェワ湖を挟んでポカラの町全体を見渡せる。泊まっているホテルもよく分かった。しかし残念なことにヒマラヤの山々は雲に隠れて見えなかった。今の時期は乾期で、ヒマラヤ旅行に適したシーズンとされているが、高い山がよく見える時間帯はかなり少ない。今朝モーターグライダーで飛べたのは幸運だったようだ。

 

 


nep3-2.JPG都丸敬介(
2008.3.12)

なんでもマルチメディア(542):ネパール旅行記(2)

128()

 ホテルの屋上が最高のヒマラヤ展望台。6時半に展望台に出ると、東の空に金星が輝いていた。7時頃に朝日を受けた高い山頂が輝き始めた。北西から北東に向けて、130度くらいの広がりで白い山脈が連なる(写真ネパール2-1)。


遙か彼方のエヴェレストを確認した。

 空がすっかり明るくなると、雲が出始めて山が薄れてきた。十分に展望を堪能したので、食堂で朝食にした。食堂の広い窓を通してヒマラヤが見える。

 10時にホテルを出て、カトマンズに戻る道の途中にある古都バクタブルに立ち寄った。15世紀から18世紀にかけて王国の首都一つだった町で、多くの寺院がある。ニャタポラ寺院は5層の基壇の上に5重の塔がそびえる堂々とした建物である。基壇の正面階段の両脇には5種類の像が並び、下から順番に人から神へとレベルが高まる。(写真ネパール2-2

 


nep2-2.JPG 町の建物は
4階から5階の煉瓦積みで、隣同士がしっかりつながっている。道幅は車一台が通れる程度だが拡張する余地は全くない。

午後2時頃の航空機でカトマンズからポカラに移動。ポカラはアンナプルナ(8,091m)、マナスル(8,163m)、ダウラギリ(8,167m)といった名山が集まっている中央ネパールの登山基地として有名な町である。カトマンズとポカラの間の飛行時間は1時間弱で、便数もかなり多い。ヒマラヤが見える進行方向右側の座席を確保したが、山は雲に隠れて見えなかった。

空港のすぐ近くのホテル・ポカラ・グランデにチェックイン。雲がかかっていてヒマラヤの山が見えなかったが、ロビーでウエルカムドリンクを飲んでいる間に、ホテルの玄関の正面にマッターホルンによく似た形の大きな山が現れた。ポカラの象徴とされているマチャプチャレ(6,993m)だ。

都丸敬介(2008.3.4)

なんでもマルチメディア(541):ネパール旅行記(1)

2008127()

 バンコク発1045分のタイ航空TG-319便に乗り、3時間強でカトマンズに到着。入国審査は簡単に終わったが、荷物コンベアが故障したこともあり、預けた荷物が出てくるまでに1時間以上かかった。旅行会社に手配を頼んでおいた現地ガイドのジーバンさんが運転手と一緒に出迎えてくれた。ジーバンさんは日本語が上手で、研修のために数ヶ月日本(松戸)に滞在したことがあるという。

 カトマンズ市内のスワヤンブナート寺院と町の中心部のダルバール広場を見てから、郊外のナガルコットの丘にあるクラブ・ヒマラヤ・ナガルコット・ホテルに向かった。

市の中心部から西側に少し外れた丘の上にあるスワヤンブナート寺院(写真ネパール1-1)はヒマラヤ最古の仏教寺院だという。巨大な真っ白の土まんじゅうの上に四角い壁面を持つ塔が乗った様式は珍しい。四角形の塔の壁面に描かれた大きな目を見て、ヒマラヤ登山記録によく出てくるチベット仏教の寺院を連想した。

 町の中心部のダルバール広場は、いろいろな様式の王宮や寺院に囲まれていて、人通りが多く賑やかだ(写真ネパール1-2)。寺院は中国や奈良の仏教寺院に似たものが多い。形も色も落ち着いた木造建築で、どれも彫刻がすばらしい。あちらこちらに飼い主がいない野良牛が寝そべっている。

nep1-2.JPG
 宿泊するホテルがあるヒマラヤの展望台ナガルコットはカトマンズの中心部から東に30kmほど離れている。カトマンズ市内は車が多く、幹線道路では無秩序に車がひしめいている。中心部から外れると道路の舗装部分と未舗装分の境界があいまいになり、事故が起こらないのが信じられないほど神業的に車が右往左往している。

 郊外に出て順調に走り始めると、道の勾配が急になった。ナガルコットの標高は2,100mあり、カトマンズから1,000mくらい登ることになる。段々畑が広がるこのあたりは、ガイドブックによると、良いトレッキングコースらしい。

 泊まるホテルはナガルコット最高級のクラブ・ヒマラヤ・ナガルコット。大きなログハウスの感じで、部屋はアメリカやカナダの山岳リゾートホテルのようだ。夕食はビュッフェスタイル。ヒマラヤビールがおいしかった。宿泊客の大半が韓国人の団体で賑やかだった。

都丸敬介(2008.3.2)

なんでもマルチメディア(540):CDN(コンテンツ配信ネットワーク)

東芝がHD-DVD事業からの撤退を発表して、次世代DVDの規格がブルーレイ・ディスクにしぼられたことが世界的なニュースになりました。消費者にとって規格統一は好ましいことですが、HD-DVDの開発を担当した技術者たちにとっては残念なことと思います。

 私の手元にはビデオテープ、レーザーディスク(LD)、DVDの3世代のビデオ記憶媒体があります。それぞれのコンテンツの中には、海外旅行の旅先で購入したものがあります。これらの多くは新世代の記憶媒体では入手が難しいものです。自分でDVDに書き込むのも面倒なので、それぞれの再生装置を使っていますが、さらにブルーレイ・ディスクのプレイヤーを購入する予定は今のところありません。

 それよりも、NGN(次世代ネットワーク)を情報流通ネットワークとして利用するVOD(ビデオオンデマンド)サービスの拡充に期待しています。新聞で「NGNにはキラーコンテンツが見あたらない」といった記事をときどき見かけますが、DVDとライブの放送中継ができるようになれば、コンテンツはほとんど無限にあります。

 ただし、本格的なビデオ情報流通ネットワークの発展のためには、解決しなければならないいくつもの重要なことが考えられます。一つは、元のVODサーバーのコンテンツのコピーを供給する多数のコピーサーバーで構成するCDN(コンテンツ配信ネットワーク)の整備です。インターネットのWebサーバーの情報分配については、世界規模のCDNが運用されていますが、VODで扱う情報のCDNをだれが、どのように構築するのかということは大きな課題です。NGNで流通するビデオ情報を受信する装置は、使い易いテレビ受像機をベースにしたものが主流になるでしょうが、適切な視聴料金体系や料金徴収システムの確立も重要な課題です。

 HD-DVDやブルーレイ・ディスクに取り組んできた優秀な技術者の多くが、その技術をNGN時代に活かすことを期待します。

都丸敬介(2008.2.20)

なんでもマルチメディア(539):ヒマラヤ見物

今年で結婚50年になったので、1月下旬から2月上旬にかけて、ネパールに金婚旅行に行ってきました。目当ては世界最高峰のエヴェレストを始めとするヒマラヤの山々を自分の目で見て、空気を体感すること。今の時期は乾期で天候が安定していますが、相手が高山なので、霧や雲が出れば見えません。幾日も山道を歩く体力は失せてしまったので、遊覧飛行に期待することにしました。


 写真:ヒマラヤ1は、首都のカトマンズ空港から運行されている山岳遊覧飛行機の機内から写したものです。一番高い山がエヴェレスト
(8,849m)で、その右側がローツェ(8.516mです。7,000m級から6,000m級の山が延々と連なっている景色は壮大でした。この飛行機の搭乗券は行き先がMOUNTAINとなっていました。

 山が最も美しい時間帯は、朝日がでるときだということなので、日の出前の6時半に出発する最初の便を予約していたのですが、6時過ぎに濃い霧が空港を覆い、航空機の離着陸ができなくなりました。結局空港の待合室で4時間待ったのですが、その日のスケジュールの都合で折角の遊覧飛行をあきらめた多くの人たちは気の毒でした。



 写真:ヒマラヤ2は、マナスル(
8,163m)、アンナプルナ(8,091m)、ダウラギリ(8,167m)などの名山が連なる中央ネパールのリゾート都市ポカラ郊外の展望台から見たヒマラヤの朝です。ポカラではパイロットと二人乗りのモーターグライダーに乗り、鳥になった気分を味わいました(写真:ヒマラヤ3)。ポカラの標高は800mほどですが、離陸してすぐに4,000mくらいまで上昇し、エンジンを止めてゆっくりと山の近くを舞います。

 2機しかないモーターグライダーを1時間借り切ってアベック飛行したことは一生の思い出になると思います。また一つ夢が叶いました。

 


都丸敬介(
2008.2.10)

 

なんでもマルチメディア(538):ブロードバンド無線アクセス

昨年末、ブロードバンド無線アクセス・サービスのために、周波数2.5GHzの新しい無線電波を使う免許の付与が、KDDIグループのワイアレスブロードバンド企画と、PHSサービスを提供しているウィルコムの2社に決まりました。

ワイアレスブロードバンド企画は新しい技術であるWiMAX(ワイマックス)を使うことを計画しています。WiMAXは現行のADSLなみの高速通信速度を実現できる技術の1つとして、世界各国で注目されています。

 昨年7月、米国の老舗の大手通信事業者であるスプリント・ネクステルと新興通信事業者のクリアワイアが共同で、WiMAX方式の無線ネットワークを構築する計画を発表しました。しかし、この共同事業計画は11月にご破算になりました。そして、スプリントは単独でXOHM(ゾームと発音)という名称のサービスを提供する計画を進めています。当初の通信速度は2〜4メガビット/秒ということですが、WiMAX40メガビット/秒程度の高速通信が可能な技術です。

 光ファイバケーブルを使うブロードバンド固定アクセス・サービスの普及が本格化した日本で、ブロードバンド無線アクセス・サービスがどのように発展するのか、興味深い話題です。FMC(固定・移動体通信融合サービス)がすでに始まっていることから、ブロードバンド固定アクセスとブロードバンド無線アクセスは相互補完する形で共存すると考えられます。いずれにしても、話題が豊富になれば社会の活性化に力が入ります。こうしたことが政治や経済の停滞で蔓延する閉塞感を吹き飛ばすエネルギーになることを期待します。

都丸敬介(2008.1.20)

なんでもマルチメディア(536):PHS

今日(200717)NTTドコモがPHSサービスを終了します。PHSは日本で開発された、ディジタル・コードレス電話技術を応用した簡易型携帯電話システムで、1995年にサービスが始まりました。サービス開始直後はユーザー数が急速に増えましたが、一般的な携帯電話の普及が進むにつれて、PHSのユーザー数は減少しました。

 NTTドコモのPHSサービスが終了しても、PHSの利用がなくなるわけではありません。PHS事業者のウィルコムは伝送速度の高速化に取り組んでいて、800キロビット/秒の高速サービスの計画を発表しています。さらに、20メガビット/秒の技術開発に取り組んでいることが報じられています。PHSはサービス開始に必要な設備投資額が携帯電話よりもかなり小さいことから、数年前に中国でPHSの大量導入が始まりました。

 PHSはもともとコードレス電話から出発したシステムですから、携帯電話システムとは違った効果的な利用方法が考えられます。たとえば、通信サービスの新しい形態として注目されているFMC(固定電話と携帯電話の融合サービス)です。これは、端末の使用場所に応じて、同じ端末を固定電話網と携帯電話網のどちらかにつないで使う方法です。

 FMCの実現手段の一つとして無線LANが注目されています。第3世代あるいは第4世代の携帯電話、次世代PHS、無線LANが三つ巴になって競争し、あるいは棲み分ける時代になりました。それぞれに長所と短所があるので、今後どのように展開するのか興味があります。

都丸敬介(2008.1.7)

なんでもマルチメディア(537):スキャナー

新聞や雑誌の記事をスキャナーでパソコンに取り込んで整理することが、私の毎朝の日課になってから10数年たちました。パソコンに取り込んだ記事を、1件ごとにパワーポイントのスライドにして、分野別のファイルにまとめています。昨年1年間に採録した記事の数はおよそ1千件です。
調べごとをするときに、インターネットで探しても、欲しい情報がなかなか見つからないことがあります。パソコンの中にある個人的なスクラップブックは、ときにはインターネットの情報検索よりも大きな効果を発揮します。講師を頼まれたセミナーの会場で、保存してある新聞記事を見せて質問に答えたところ、このスクラップブックの作り方を教えて欲しいという要望を受けた経験があります。
永年使ってきたスキャナーの具合が悪くなったので、昨年秋に新しいものを購入しました。これはノード型パソコンと同じ大きさで軽量のものです。パソコンとスキャナーの両方を鞄に入れて持ち運びできます。
 このスキャナーは使いやすく、しかも1万円以下で買えるので、学習指導をしているシニア・パソコン教室で使い方の講座を実施しました。新聞や古い写真などの印刷物だけではなく、落ち葉や道端に咲いている花をスキャナーで直接取り込むことの実習を行ったところ、教室では面白い作品が次々に生まれました。
 後日、受講者の一人から「手袋に刺繍をしたのでスキャナーでパソコンに取り込みました。カメラで写すよりも簡単で、いい感じの写真ができました」という話がありました。いままで使われずにほこりをかぶっていた何台かのスキャナーが動き出したようです。
都丸敬介(2008.1.15)