なんでもマルチメディア(615):玄奘三蔵ゆかりの地

2009122日に亡くなられた、平山郁夫画伯の名画の1つ「仏教伝来」の主役は、

玄奘三蔵法師です。2005年に出かけたシルクロード旅行で、玄奘三蔵ゆかりの場所を

訪れました。

 

 西遊記で三蔵法師の家来の孫悟空が活躍する火焔山(写真?)の近くに、高昌古城

遺跡があります。ここは、敦煌に近く、シルクロードの砂漠地帯が始まる、トルファ

ン盆地の一角です。

 


pht-1.jpgほぼ正方形の城壁に囲まれた高昌故城は、日干し煉瓦を積み上げて建築した、広大な

遺跡です(写真?〜?)。7世紀初頭、インドに向かう途中で、玄奘三蔵が1ヶ月滞

在して説教をした円形ドーム状の講堂(写真?)は、きれいに復元されていました。

 

 高昌故城の近くに「アスターナ古墳群」があります。古墳といっても、土が少し盛

り上がっているだけで、墓は地下を掘ったものです。古墳の主はみなミイラになって

います。ここのミイラはエジプトのミイラとは異なり、内蔵を取り出さないもので

す。博物館に展示されているミイラはかなり生々しい感じでした。

 


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pht-3.jpg 1979年に実施された、NHKのシルクロード・プロジェクトの記録、「シルクロード

5巻:天山南路の旅」に、このあたりのことが詳しく記されています。

 

 
pht-4.jpgカラコルム山脈を越えて、現在のパキスタンからインドに着いた玄奘三蔵が持ち

帰った仏典が、西安の慈恩寺の大雁塔(高さ64m、写真?)に収められています。写

真?は大雁塔の最上階から、シルクロードの方面を見た写真です。トルファンは、西

安の西、約1,400kmの場所にあります。シルクロードの旅は時間と空間を超越しま

す。

 

 


pht-5.jpg

 


pht-6.jpg都丸敬介
(2009.11.23) 

なんでもマルチメディア(605):カナリア諸島旅行(5)

67()

 朝8時にホテルを出発。島の西海岸の道を通って、北部の町プエルト・デ・ラ・ク

ルスでオロタバ植物園を見学。1788年に王様の命令で着工したというこの植物園には

熱帯と亜熱帯の代表的な植物や珍しい植物が整然と配置されている。

dragontree.jpg 


 プエルト・デ・ラ・クルスの近くの町ラ・オロタバに移動する途中で、ドラゴンツ

リー(龍血樹、ドラゴの木)の大木を見た。高さが20m、枝の広がりが20mの巨大な古

木で、公称樹齢は800年。ただし推定樹齢は400年〜2,000年の幅があるという。年輪

ができないので樹齢の推定が難しいのだという。ドラゴンツリーはカナリア諸島が原

産地で、樹液が血のように赤いことからこの名前がついたということだ。

 ラ・オロタバでは聖体祭の準備が進んでいた。立派な町役場の前の広場にテントを

張り、砂絵を描く作業が進んでいた。18種類の色の砂は、火山島のこの島でとれるも

のである。花で彩られた街角で、老楽師が木琴でアルゼンチンタンゴを演奏してい

た。

 dragontree0.jpg


 朝のうちは雲一つなく、海岸からテイデ山頂が見えていたが、山道を登り始めると

雲が出て山が見えなくなった。けれども標高1,200mほどで雲の上に出た。

 標高3,718mのテイデ山はスペインの最高峰で、この山を中心とする一帯のテイデ国

立公園は世界遺産になっている。標高3,550mの展望台までロープウエイで登れるが、

その先は入場禁止地域として保護されている。

 展望台は気温が4℃だったが風がないので寒さを感じなかった。見渡す限り、世界

最大級のクレーターや黒い溶岩など、素晴らしい景観が広がっている。

 ケーブルカー乗り場から2km離れた、国営ホテルのパラドールで昼食をとった後、1

時間ほど溶岩原を散策した。

 この場所で、テイデ山が原産地のタケノコのような姿の不思議な花を始めて見た。

正式名はエキウム・ウィルドプレッティ(Teide bugloss)。1年草で、赤い小さな花

がびっしり咲いている。高さは2mほどあり、開花期間は2週間程度だという。鮮やか

な赤い花の隣に、白骨のような去年の花の名残が立っていた。

 午後5時にホテルに帰着。明日は早朝の飛行機で帰国する。

 

 


MT-teide.JPG都丸敬介(200978日)

なんでもマルチメディア(604):カナリア諸島旅行(4)


6
6日(土)

 

 テネリフェ島の西に40km離れたラ・ゴメラ島に渡り一日を過ごす。朝815分にホ

テルのロビーに集合。すでにパトリシアさんが待っていた。大型の高速カーフェリー

9時にテネリフェ島を出発。1時間足らずでラ・ゴメラ島東海岸の町サン・セバス

ティアンに到着。カーフェリーの客室は久里浜と金谷の間のフェリーの4倍ほどの広

さで、客室の下の車庫には大型バスが何台も入る。

 ラ・ゴメラ島は直径が20kmほどの円形の島で、カナリア諸島の中で唯一つ空港がな

い島だったが、空港の建設が進んでいた。島の中心に最高1,487mの台地がある。この

付近は照葉樹の原生林が広がるガラホナイ国立公園で、世界自然遺産に登録されてい

る。

 海から見た海岸の断崖や、島の中の険しい段々畑が印象的だ(写真参照)。訪れた

小さな熱帯植物園ではマンゴーやバナナの実がなっていた。

 


la Gomera.jpg 午後1時、島の北部の村ラス・ロサスのレストランで昼食。独特の指笛による情報

伝達のデモンストレーションがあった。客の持ち物を食堂の中に隠し、そのことを見

ていた男性が指笛で知らせると、別室で聞いた女性が隠したものを探し出して、持ち

主に渡す。山の中では数km離れて指笛による会話ができるという(写真参照)。

 昼食後、ガラホナイ国立公園の景色を楽しみながら、最高点の近くで車を降りて、

山頂に通じる幅3mほどの緩い傾斜の山道を歩く。道の両側には切れ目なくいろいろ

な花が咲いている(写真参照)。

 

 


la Gomera2.jpg空気が爽やかで、歩いていて気持ちがよい。1.5km

ほど歩いて山頂の展望台に出た。

 奇岩や段々畑を見ながらサン・セバスティアンに戻り、コロンブスが礼拝したとい

15世紀の教会の近くの喫茶店で休憩。午後5時発のカーフェリーに乗り、550分に

テネリフェ島に戻った。

 

 yubibue.JPG

 

 

 

なんでもマルチメディア(603):カナリア諸島旅行(3)

65()

 朝7時にホテルを出発して空港に向かった。途中で海から大きな朝日が顔を出した。飛行時間20分で、9時半にテネリフェ島の北空港に着いた。テネリフェ島には北空港と南空港があり、北空港のほうが大きい。着陸前にテネリフェ島のシンボルで富士山のように形がよいテイデ山がよく見えた。

 

 テネリフェ島は円盤に柄をつけたしゃもじのような形をしている。円盤部分の直径が約60kmでその中心にスペインの最高峰テイデ山(標高3,718m)がある。柄の部分が北東に延びていて、その中央部に北空港がある。

 空港では現地女性ガイドのパトリシアさんが待っていた。パトリシアさんはフランス人で、24年前にテネリフェに移住したという。陽気で健康的。癖のないわかりやすい英語を話す。

 

 最初に訪れたのは空港からあまり遠くない、世界遺産の古都ラ・ラグーナ。グランカナリアのテロールと同様に、木造のバルコニーが目につく。黒光りしている松の木で造ったバルコニーには細かい彫刻が施されていて、ネパールの建物を思い出した。町中を一回りしてからマーケットを見学。果物や魚、花などの種類が多く、色が鮮やかだ。(写真参照)

 


tenerife-island(Mt-Sea).jpg ラ・ラグーナから北東に進み、クルーズ・デル・カルメンの見晴らしがよいレストランで午後1時に早めの昼食。ゆでたジャガイモから始まり、メインは厚さ2cmほどの大きなポーク。

 ここから東に進み、テイデ山がよく見える展望台まで車で登った。この後、青い海と黒い岩が美しい海岸の村タガナナに下った。この村に下る道はアップダウンとカーブが激しく、終点がない高速ジェットコースターのようだった。(写真参照)


 今日の観光はここまでで、島の東海岸の高速道路を延々と走り、ホテルに向かった。ホテルは島の南部の新開発リゾート地ラ・カレータの新しい五つ星ホテルシェラトン・ラ・カレータ。庭にいくつもの

 

laguna-schech.jpg

ールがあり、その先の海岸の砂浜にも出られる。

都丸敬介(2009.7.2

なんでもマルチメディア(602):カナリア諸島旅行(2)

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 朝9時半にホテルを出発し、ラス・パルマスの旧市街を皮切りに、グランカナリア

島の北部に散在する町や村を回った。

 ラス・パルマスの旧市街のヴェゲタにはカナリア様式といわれる大聖堂がある。大

聖堂の前は広場で、裏手に博物館になっているコロンブスの家(写真)がある。ここ

で高校生のグループと一緒に写真を写した。コロンブスの家を一回りしてバスに乗

り、次の目的地アルーカスに向かった。

 


columbus.JPG アルーカスでは1901年に建設された、フランスで見られるような堂々とした教

会に入った。ステンドグラスが美しかったが、教会の内部は写真撮影禁止になってい

て写真に収めることができなかった。

 次に訪れたテロールの聖母ピノ教会は若い女性のようにすっきりしている。この教

会の前で町長さんが観光客になにか説明をしていた。教会の前の通りに面した家々に

はみな木造のバルコニーがついている。これはカナリア諸島のどこにもある伝統的な

スタイルだが、屋根の上に沢山の小さな木が伸びている家があるのが面白い。日本の

山村で藁屋根の上に草が生えているのと似ている。

 


jacalanda1.jpg 海岸の村プエルト・デ・ラス・ニエヴェスのレストランで昼食。野菜サラダ、大き

な白身の魚、デザートのムース、白ワインとリカーというデラックスな昼食だった。

 タマダバ国立公園のカナリア松の原生林や、谷に沿って広がる農地、ジャカランダ

(写真)をはじめとする道路脇に咲き乱れる花などを見ながらホテルに戻った。

 

 jakaranda2.jpg

 

 

 

 


都丸敬介(2009.6.29

なんでもマルチメディア(601):カナリア諸島旅行(1)

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今月(20096月)初旬、大西洋に浮かぶスペイン領カナリア諸島に行ってきました。

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昨日成田を発って夜遅くマドリードに着いた。早朝の飛行機に乗るために、朝6時半にホテルをチェックアウト。ホテルから空港までは30分程度。ホテルで用意してもらった朝食を空港のベンチで急いで食べた。空港のメインビルディングと搭乗口があるMビルディングは離れていて、構内の連絡用地下鉄で10分かかった。

 

午前1015分にグランカナリア島の空港に到着した。マドリードからの距離は約2,000km。途中で飛行機の窓の下に小さな火山島が見えた。

グランカナリア島は直径60kmほどの円形の島で、中央に標高1,949mの山がある。人口は約70万人。北部のラス・パルマスが県庁所在地で、島の人口の半分が集まっている。島の南部のマスパロマスは広い砂丘があるヨーロッパ有数のリゾート海水浴場である。島の空港(といっても広い国際空港)はラス・パルマスとマスパロマスの中間にある。

 空港で男性ガイドのベルナルド・サンタナさんと運転手のラファエルさんの出迎えを受けた。ベルナルドさんはガイド歴40年の大ベテランで、島中みな知り合いのような気さくな人だ。

 

 
最初の訪問場所はヴィエラ・イ・クラヴィホ植物園。正門を入ったところで椰子の木の大群が出迎えてくれた。椰子の木は奥の傾斜地の上の方まで広がっている。正門から入って右手の道を進むと、珍しい木やサボテン、いろいろな花の木などが次々に現れる。バスで来た遠足の子供たちが行儀良く園内を見学していた。
 

 

 


rare flower.JPG 植物園を出て、島の中央にある山の頂上ティラハナ展望台に登った。島内の道は良く舗装されている。カーブが多い山道は狭くても車が少ないので快調に走れる。

 

山頂の展望台に隣接して、大きなドームがある建物があった。天体観測用かレーダーサイトだろう。展望台の真下にある巨大なカルデラはわき上がる雲に隠れて見えなかったが、隣の島テネリフェ島のテイデ山がよく見えた。2,000m近い山から見下ろす海の景色は雄大だ。この景色はミシュランの三つ星にランクされているという。

 


tenerife-island.JPG 2時半にカナリア料理で昼食。ホテルがあるラス・パルマスの、海に突き出た半島を一回りしてから、3時40分にメリア・ラス・パルマス・ホテルに到着した。五つ星の立派なホテルで、部屋の目の前に逗子湾のような形で砂浜が広がっている。右側には小さな船着き場や海に突き出たレストランがある。左側には、かなり高い切り立った崖が見える。海水浴をしている人が多い。

 夕食で味わった地元の白ワインはやや甘口で口当たりが良かった。

 

都丸敬介(2009.6.22

なんでもマルチメディア(595):スイスの高山植物園


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20016月、スイスの山岳観光の中心地のひとつインターラーケン郊外にあるブリ

エンツ湖畔のホテルに数日滞在して、天候を見ながら行き先を決める、気ままなハイ

キングを楽しみました。

 

 好天気に恵まれて、雲ひとつないユングフラウやアイガーといった名山を楽しんだ

後のある日、朝起きると強い雨が降っていました。けれども8時ごろには雨が弱くな

り、ときどき薄日が差すようになりました。そこで、鉄道、ケーブルカー、ロープウ

エイを乗り継いでシルトホルン(2,971m)の山頂に行きました。


alpsflw2.jpg 

 ここは1969年に作られた映画「女王陛下の007」のロケ地であり、訪ねてみた

かった場所です。大きな展望台の売店には007グッズのコーナーがありました。霧

に包まれた展望台のカウンターで飲んだコーヒーが暖かかったことを今も覚えていま

す。

 

 インターラーケンへの帰路、ヴィルダースヴィルという駅で登山電車に乗り換え

て、シーニゲ・プラッテという標高1,967mの展望台がある場所に行きました。ここに

は広い高山植物園アルペンガルテンがあります。アルプスの山々は見えませんでした

が、多くの種類のアルプスの花を楽しむことができました。高山に咲く花はみな可憐

で色が鮮やかです。


alpsflw3.jpg 

 オーストリアで出版された高山植物の本によると、標高約1,700mを境にして、それ

よりも高地で咲く花をアルプスの花、それ以下の標高の場所で咲く花を草原の草花と

呼ぶそうです。

 

 この高山植物園で写した花の写真を数枚添付します。みな、国内の山歩きをしてい

た頃には見かけなかった花です。

 

 


alpsflw4.jpg都丸敬介(2009.4.14)

 

なんでもマルチメディア(594):エルサレム

2000年以上にわたって紛争が絶えないイスラエルの首都テルアビブで、198810

に国際コンピューター通信会議が開かれました。このとき、会議参加者のために用意

されたバスツアーでエルサレムとベツレヘムを訪ねたことは、今となっては実現が難

しい貴重な体験になりました。このときの印象記します。

 



is-iwanodome.jpg テルアビブからエルサレムまでの距離は60km強で、片側2−3車線の高速道路でつ

ながっています。途中、山の中の道ばたに中東戦争時代のトラックの残骸が転がって

いました。緊張感を保つために撤去しないのだそうです。

 

 エルサレムの街は、遠くから見ると白い山肌と建物の見分けがつかない、遺跡のよ

うな丘陵です。そして、城壁に囲まれた旧市街は、信仰と生活が混在している活気が

感じられます。すべての建物が石造りで、何度も破壊と再構築が繰り返されたため

か、無秩序であり、狭い路地の店はきわめて東洋的です。しかし、新しいエルサレム

の市街は立派な建物が整然と並び、優雅で裕福に見えました。

 


 旧市街の中心にある有名な岩のドーム(写真1)は燦然と輝き、嘆きの壁(写真2

には多くの人が頭をつけて祈っていました。嘆きの壁の内側にあるトンネルにはユダ

ヤ教徒しか入れないということで、入り口でユダヤ教徒がかぶる丸い帽子をかぶって

入りました。

 


is-nagekinokabe.jpg ベツレヘムも丘の町です。キリスト生誕の場所といわれる聖誕教会のなかに、生ま

れたばかりの子供の像が祭られていました(写真3)。すごく生々しい感じでした。

現在、この場所はパレスチナ自治区にあり、簡単には行けないようです。

 


is-seitankyoukai.jpg都丸敬介
(2009.4.6)

なんでもマルチメディア(592):ブイヤベースとマルセイユ


1972
年に職場が武蔵野市から横須賀市に移転なり、逗子市に住むようになりました
。その頃は、珍しさもあり、三浦半島のドライブを楽しんでいました。ある日、食事に立ち寄った観音崎京急ホテルのレストランで、ブイヤベースに出会いました。始めて食べたブイヤベースが気に入って調べたところ、マルセイユの漁師の料理がルーツだということがわかりました。

 そのときから4分の1世紀たった1997年のゴールデンウイークに、アヴィニョンに滞

在してフランスのプロヴァンス地方を観光しました。近くまで来たのだから、本場の

ブイヤベースを味わおうということで、TGV(新幹線)に乗ってマルセイユに行きま

した。


marseille(kyukou).jpg 良い店があるという旧港(写真)に行き、一軒の店に目を付けましたが、昼食時間
には早すぎたので、タクシーで市内観光をすることにしました。タクシーのたまり場に行って、英語が話せる運転手を見つけ、ガイド代込みで2時間の契約をして、行く先は任せました。

 最初に行ったのが、地中海から港に入る入り口の小高い丘の上にあるノートルダ

ム・ド・ラ・ガルド寺院でした。高い塔のてっぺんに、町と海の安全を守るマリア像

(写真)
がある寺院の境内からの展望は見飽きません。アレクサンドル・デュマの名
作”巌窟王”の舞台になった牢獄の島がすぐ近くにあります。

 

運転手にブイヤベースの店を推薦してもらったところ、奇しくも目を付けた店でし

た。バケツのような深い鍋に一杯入ったブイヤベースは食べても食べても減りませ

ん。堪能して、その後のアヴィニョンに戻るまでのことは全く記憶にありません。
 
marseille-maria.jpg


 


都丸敬介
(2009.3.23)

なんでもマルチメディア(582):西インドの旅(3)

今回のインド旅行の最大の目的は、エローラの石窟群の中にあるカイラーサナータ

寺院を自分の目で見ることでした。エローラの石窟群は西インドの大都市オーランガ

バードから30kmほどの整備された幹線道路の脇にあります。

 この石窟群は、仏教の第1窟から第12窟、ヒンズー教の第13窟〜第29窟、ジャイナ

教の第30窟から第34窟の3グループに分かれています。石窟が掘られている断崖の前

は広い公園になっていて、日曜日のためか、サリーをまとった女性のグループや家族

連れ、小学生から高校生の団体などが沢山いました。

 大部分の石窟は断崖を側面から掘ったものですが、カイラーサナータ寺院は岩山を

掘り下げて、寺院の最上部から造ったという、信じられないような構造物です。高さ

35m、幅60m、奥行き90mの規模は圧倒的な重量感があります。8世紀半ばの756年に着

工し、100年以上の年月をかけてカナヅチとノミだけで作り上げたということです

が、これを作った人たちのエネルギーには敬服します。最初にどのような設計図があ

り、それが作業者全員にどのように伝えられたのか興味がありますが、ガイドブック

や現地で購入した解説書には何も記されていません。

 (写真:エローラ1)のように、この寺院は岩山を掘り下げたものなので、周りの

岩壁と同じ色をしています。このために、写真では全体の構図がよく分かりません、

そこで寺院の輪郭を切り抜いてみました(写真:エローラ2)。背景はオーランガ

バードからムンバイに向かう飛行機で写した雲の上の夕焼けです。

 

erola1.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

erola2.JPG都丸敬介(2008.12.29)