なんでもマルチメディア(425):日時計

現在の小中学校の理科の授業で、日時計を使って時間を計る方法を教えているかどうか知りませんが、旅先で日時計に出会うことがよくあります。古い立派な日時計を見ると、それを作った人や時代の様子が目に見えてくるような気がします。
 インドのデリーから250kmばかり離れたジャイプルに、世界一という巨大な日時計があります。天文学を勉強したマハラージャが1730年頃に建設したものです。高さは27.4mあるそうで、2秒単位で時刻を測ることができるということです。この日時計が設置されている場所は、当時の最先端天文観測所で、いろいろな興味深い観測機器があります。
 時計といえば、ジュネーブの時計博物館で、柱時計の原型のような大きな木製の時計を見たことがあります。いくつもの木製歯車を組み合わせたもので、動力源は太い縄の先にあるおもりです。水車のような木製の輪の回りに、丸い棒を等間隔で埋め込んだ歯車がきちんと動いているのは見事でした。
 こうしたものを見ていると、初めてこれを見た子供たちがどのように反応するのか興味がわいてきます。物心がついたときから、近代科学技術の粋をつくしたものに囲まれた環境で育つと、基本的な物事に対して反応しなくなるのか、それとも新鮮な感動を覚えるのか知りませんが、好奇心を示すことを願います。
 ふと思いついて、手元の百科事典で時計の項を開いたところ、「時計という語は、英語のtimekeeperあるいはフランス語のgarde-tempsに相当する」という記述がありました。これで知識が一つ増えました。
都丸敬介(2005.09.25)

なんでもマルチメディア(424):音声合成技術

ある企業の研究所で見学した最新の研究成果の一つに、パソコン画面に表示されている文書を読み上げる音声合成技術のデモンストレーションがありました。このデモンストレーションでは、小説の一文を読んでいましたが、イントネーションや間合いの取り方がプロのナレーターにかなり近いという印象でした。
 音声合成の研究の歴史は長く、すでに多くの設備や機器に、合成音による音声ガイド機能が組み込まれています。しかし大部分は、比較的短い定型的な文節を組み合わせるものであり、小説のような任意の文章を、感情を込めて表現できるレベルには達していません。
 文章を読む機械がどのようなところで有用かというと、目が不自由な人や病人を想定することが多いようですが、その利用範囲はかなり広いはずです。ラジオの番組に小説の朗読があります。自分で選んだ小説の朗読に目をつぶって聞き入ることができれば、多くの人たち、特に病人や高齢者は大喜びするでしょう。外国の新聞・雑誌を日本語に自動翻訳して読み上げるのを聞き流せるようになれば、現役のビジネスマンにも利用が広がると思います。通勤電車のなかで小説を読んでいる人が沢山います。揺れ動く混んだ車内で本を読むのはかなり疲れますが、機械が読み上げる声を耳で聞くならば、疲れも少なく、快適な時間を持てるはずです。
 聞く人が違和感をもたないような自然な音声を、携帯機器で合成できるようになるまでに何年かかるか分かりませんが、この分野の研究がもっと活発になることを期待しています。音声合成の究極の目標は何かと考えると、いろいろなアイデアが浮かびます。聴きたい歌や自分で歌いたい歌の楽譜をパソコン画面に表示して、自分の声に合わせて機械に歌わせることができれば、新たな楽しい時間が生まれることと思います。
都丸敬介(2005.09.18)

なんでもマルチメディア(423):敬老の日

近づいてきた敬老の日にちなんで、ある新聞のコラムに「だれしも年は取りたくないと思っている」という書き出しに一文がありました。私も70才を過ぎた老人の一人ですが、年は取りたくないと思ったことがありませんので、この断定的な一言には疑問を感じました。もちろん体力や持久力、あるいは集中力の低下を実感していますが、これらは当然のこととして受け入れています。
 50台後半には、60才になるのを待ち遠しく思っていました。早く定年になり、自分の意志だけで時間を使えるようになることに憧れていたのです。結局60代後半までサラリーマン生活をしましたが、自由の身になるのが遅すぎたとは感じていません。この間に夢が大きくなっていたのです。
 海外旅行で知り合った人たちの中には、70代後半から80代でかくしゃくとしている人が少なくありません。これらの人たちに共通していることは好奇心が強いことです。なんでも見てみよう、なんでも体験してみようという気持ちが持続する限り、年齢のことは気にならないのかもしれません。
 2007年に団塊世代が一斉に定年年齢に達するということで、いろいろな話題が生まれています。終戦で再出発した私たちの国が今年は還暦を迎えました。近年の惰性で年老いた国になるのではなく、これからの日本がどのような国に若返るのか楽しみです。
都丸敬介(2005.09.11)

なんでもマルチメディア(422):アラスカの旅(5)

2005年8月30日(火)
 アンカレッジの東100kmのウィティアーを出発点とする、プリンス・ウイリアムズ湾の氷河観光クルーズに参加。朝9時半にホテルを出発し、湖の畔にあるベギッチ旅行者センターで小休止してからウィティアーに到着。ウィティアーの手前に長さ4kmの一方通行トンネルがあり、かなりの時間待たされる可能性があるということだったが、あまり待たなかった。元は鉄道用のトンネルで、今も鉄道と自動車で兼用している。
 午後1時に出発したクルーザーは、最大時速75kmの双胴船で、スピードを出してもほとんど揺れを感じない。しかしデッキに出ると風当たりが強く、カメラのシャッターを押すのが難しいほどだ。フィヨルドの奥にある氷河の先端を幾つか見て回った。船の近くにシャチやラッコ、アザラシなどが見えると停船する。
 温暖化の影響で氷河の後退が進んでいるということだが、見上げるような氷河の末端が海に崩れ落ちる様子は迫力がある(写真)。流氷の間をラッコが泳ぎ、流氷の上でアザラシが体を休めている。
 クルージングの時間は4時間半。8時頃ホテルに帰着。
2005年8月31日(水)
 午前10時アンカレッジ空港発のJL8801便チャーター機で帰国の途に着いた。ホテルに迎えに来ることになっていたバスが故障したために、小型車に分乗するというハプニングがあり、アンカレッジ空港の安全検査装置が1台しか稼働していないために、検査待ち時間が大きかったことなどのトラブルがあったが、出発時間の遅れはなかった。
 以前は出発ロビーに置かれていた、アンカレッジ空港のシンボル「大きなシロクマの剥製」は、安全検査場所に入るエスカレーターに下にあった。懐かしかった。
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氷河の末端
都丸敬介(2005.09.08)

なんでもマルチメディア(421):アラスカの旅(4)

2005年8月29日(月)
 天気はあまり良くないが、予約していた10時出発のマッキンレー山遊覧飛行機が飛ぶことになった。パイロットを含めて7人乗りの双発セスナに乗る。飛行時間は1時間強。離陸して20分ほどで雲の上に出た。雪に覆われた山々がまぶしい。説明がないので確認はできなかったが、マッキンレー山と思えるかなり高い山の近くを回った。
 飛行場からはロッジに戻らず、アラスカ鉄道の駅に直接送ってくれた。アンカレッジまでのアラスカ鉄道の特急列車は1日1往復。アラスカ鉄道の車両の後に旅行会社所有の2階建て展望車が付く。展望車は2階が座席で1階が食堂。特急といっても速度は非常に遅い。急カーブの連続でスピードを出せないのだろう。
12時20分にデナリの駅を出発し、3時間ばかり走ったところで列車が動かなくなった。1時間くらいしてから、荷物車のブレーキホースが損傷したので修理中という情報が入った。6時20分にタルキートナで停車。タルキートナは大きな町でマッキンレー登山の基地になるという。
タルキートナを出発してしばらくしてから、故障した荷物車を切り離したので、荷物はアンカレッジから車で取りに来ることになったという説明があった。荷物が何時にホテルに着くか分からないということだが、誰も苦情を言わなかった。
 午後10時頃、アンカレッジのマリオット・ダウンタウン・ホテルに着いた。以前、ノルウェーで、ベルゲンからオスローまで8時間くらいの高原列車の旅をしたときにも感じたが、ゆっくり走る列車の窓から、延々と続く山や森を見ていると、完全に時間を忘れてしまう。
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マッキンレー山
都丸敬介(2005.09.07)

なんでもマルチメディア(420):アラスカの旅(3)

2005年8月28日(日)
 午前中、フェアバンクスからバスで3時間ほど南下してデナリ国立公園に移動。以前はマッキンレー国立公園という名称だったが、伝統的な現地語のデナリに変えたという。四国+山口県ほどの広さがあり、山とツンドラが広がる。
 12時過ぎに、国立公園入口にある宿泊場所のマッキンレー・シャレー・リゾートに到着。軽井沢のような雰囲気。比較的新しい旅行者センターで、本館には受付と売店およびレストランだけがあり、宿泊設備のロッジが広い森の中に点在している。そして、本館と各ロッジを巡回するシャトル・バスが走っている。
 午後2時に片道100kmほどのドライブに出発。標高700mほどで森林限界を越えると、ツンドラ地帯が広がる。すでに紅葉が始まっていた(写真)。クマ、ムース、ヒツジなどの野生動物を誰かが見つけると、バスが停まって、皆が豆粒のような動物を捜しまわる。子連れのクマがバスのすぐ後ろを通って悠然とブッシュの中に入っていったときは興奮の歓声があがった。
 5時過ぎに折り返し地点に到着。運転手が皆に熱いお茶を配ってくれた。給湯設備はバスに組み込まれている。自然環境保護のために、道路は一本しかなく、ゴミは全て持ち帰り、飲み残した飲料を地面に捨てることも禁じられている。電柱や看板などの人工的なものが全く目に付かない広大な景色はうらやましい。
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デナリ国立公園
都丸敬介(2005.09.06)

なんでもマルチメディア(419):アラスカの旅(2)

2005年8月27日(土)
 遅めの朝食後ホテルの近くを散策。道路は広いが閑散としている。ゴールデンハート・パークには、最初にこの町に住み着いたという無名の家族の大きな銅像が立っている。水量が豊かなチェナ川の向こう側に白いシンプルな教会が建っている。
 午後3時に出発して、100km離れたチェナ温泉リゾートに向かった。チェナ温泉は、長さ45mの露天風呂(写真)を中心にして、ハイキング、ラフティング、4輪バイクのドライブ、遊覧飛行、キャンプ用テント、ホテルなどの設備が整っている。当たり前のことだが、露天風呂と室内の温泉は水着着用。かまぼこ型建物の氷の博物館の中には、中世をイメージした城と馬、ベッドがある部屋、バーなどが、すべて氷の彫刻で作られていた。
 本館のレストランで夕食をすませてから、アクティビティー・センターという広い待合室のような場所でオーロラを待つ。センターの建物の裏が小さな飛行場になっていて、滑走路がオーロラを見る場所である。10時過ぎにようやく星が見えるようになった。北緯63度の高緯度なので、北極星がほとんど頭の真上にある感じ。北斗七星やカシオペア、天の川とその中にある白鳥座など、まさに満天の星空だ。けれどもお目当てのオーロラは現れず、午前2時に引き上げた。数日前は連続してオーロラが現れたということだが、相手が自然現象ではやむをえない。
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アラスカ・チェナ温泉
都丸敬介(2005.09.05)

なんでもマルチメディア(418):アラスカの旅(1)

アラスカの空気を吸ってきました。アラスカは20年前と比較して、日本からの往来が不便になりましたが良いところです。参考までに最近の状況をお知らせします。
2005年8月26日(水)
 1980年代中頃まで、ヨーロッパ往復にはアラスカのアンカレッジを中継していたが、ヨーロッパ直行便ができてからはアンカレッジを通ることがなくなった。ヨーロッパからの帰路、アラスカ上空で機内から見たオーロラやマッキンレー山を間近に見たいと思っていたが、日本からの直行便がなくなり、アラスカ訪問が遠のいた。ところが、数年前からJALが季節限定でチャーター便を飛ばすようになり、多くの旅行会社がこれを利用するツアーを企画するようになった。その一つ、JALパックのツアーに参加した。
 19時成田発のチャーター便、ボーイング747-400は80%程度座席が埋まっていた。飛行時間は7時間弱。日付変更線を通過したので、出発日の午前8時頃フェアバンクスに到着。入国審査では指紋と顔写真の登録があった。大量の入国者を審査する体制ができていないので、たった1便の入国審査に3時間かかり、出迎えのバスに乗ったときはすでに正午になっていた。機内放送では地上温度6℃ということだったが、寒いという感じはなかった。
グループの総勢は30人強。滞在中の面倒を見てくれるのは、アラスカ在住の日本人女性ガイドのMさん。日本で旅行会社に勤めていたが、アラスカが好きになり、同業だったご主人と結婚してアラスカに住み着いたという。
 昼食前にアラスカ大学の博物館とアラスカ縦断石油パイプラインを見学。博物館は広くはないが、動物の剥製やエスキモーの生活用具などが展示されていた。昼食後ホテルにチェックイン。町の中心部にあるスプリングヒル・スイート・フェアバンクス。部屋の窓から見下ろす場所にフェアバンクス発祥の地ゴールデンハート・パークと遠くの山並みが広がっている。
 夕食後オーロラツアーに出かけた。日没は9時過ぎで、午後10時に集合。車で40分ほどの山中にある日本人Kさん夫妻の手作りロッジでオーロラを待ったが、夕方から広がった雲が晴れず、午前2時過ぎにロッジを引き上げて、3時にホテルに帰着。長い一日だった。
都丸敬介(2005.09.04)