3月19日(日)マンダレー(2)
マハムニ・パゴダ拝観。本尊は高い段の上にあり、信者が金箔を張り付ける。ただし、内陣は女人禁制で男性しか金箔を張り付けられない。真偽のほどは確かでないが、数百年にわたる金箔の張り付けで、仏像はかなり太ったはずだという。(写真)
ホテル・マンダレーにチェックイン。ヤンゴンで泊まったホテルの系列で新しい。たっぷり昼寝をして4時に午後の見学に出かけた。
旧王宮は一辺が3kmの正方形の敷地にあり、城壁とその外側の幅広い堀に囲まれている。現在は軍が管理しているので、敷地内にはいるときの身元確認は厳しい。海外旅行者はパスポート番号を届け、タクシーの運転手は運転免許証を預ける。ただし城壁の内側では軍人を見かけなかった。王宮の建物があるのは中心部の一部分だけで、そのほかの場所では一般人が生活している。王宮の建物は第二次世界大戦中に焼失したのを復元したもの。壮麗な建物を見事に再建している。
チーク材で作られたシュエナンドー僧院を見学。当初は金箔が貼ってあったというが、今ははがれて黒ずんでいる。建物内外の壁面は多数の四角い枠に区切られて、その中に彫刻が施してある。長い年月の雨風にさらされたにも関わらず、金箔が残っている手の込んだ彫刻が見られる。
今日の最終目的地である、マンダレーの町を見下ろすマンダレーヒルの手前でクドードォ・パゴダを拝観。このバゴダはバガンのシュエジゴン・バゴダを模したという。巨大な金色のパゴダの周囲に白亜の小さなパゴダが整然と並んでいる。その数は729。一つ一つのパゴダの中には、畳半分ほどの石版に刻まれた梵語の経典が収められている。世界最大の経典だという。(写真:経典を収めた小パゴダ群)
マンダレーヒルは平地の中に盛り上がった高さ200mを超す丘で、頂上部分全体が裸足で入る聖地になっている。エレベーターがあるが停電のため長い石段を歩いて登った。見下ろす王宮の北側にはサッカー・スタジアムやゴルフ場が並び、その向こうには広大な水田が広がっている。
都丸敬介(2006.04.06)
カテゴリー: 世界巡り
なんでもマルチメディア(453):ミャンマー旅行記(3)
3月19日(日)マンダレー(1)
出発時間が早いので5時半にホテルのプール際のレストランで朝食。月と幾つかの星が輝いていた。空気が澄んでいて気持ちがよい。6時15分にホテルを出発。飛行機でマンダレーに移動。バガン?マンダレーの飛行時間は30分程度。マンダレー空港で大きな日の出を見た。この空港は数年前に完成した新空港で、マンダレーの町までは車で1時間ほどかかった。
マンダレーはヤンゴンに次ぐミャンマー第二の都市で、19世紀には首都だったところ。旧王宮を中心にして碁盤目の街路が整然としている。最初に、湖にかかる木造のウーベイン橋に行った。この橋は、川向こうの住民が町のお寺を参拝できるように、王様が作らせたという。幅2mほどの長い橋で、チーク材の丸太の柱で支えられている。欄干はない。車は通れないが、自転車を押している人がかなり多い。でも、自転車に乗っている人はいない。今は水面まで数mあるが、湖が増水する雨期はかなり怖いらしい。橋の途中にベンチがある屋根付きの休憩所がある。人気があるデートスポットだという。(写真)
昼食時間に会わせてマハーガンダーヨン僧院を見学。900人ほどの僧が修行している巨大な僧院で、見習い少年僧も多い。少年僧は梵語の勉強から始めて、試験に合格すると一人前の僧になれる。優れた僧はヨーロッパに海外留学する制度があるという。食事は早朝と昼の2回だけ。少年少女の集団得度式が行われていて、大広間で親類縁者たちがにぎやかに食事をしていた。(写真)その中に入ってアイスクリームをご馳走になった。ご馳走になるのが見学者の礼儀だという。僧たちの食堂は広い。食堂の外で並んで順番に食事を受け取る。皿に山盛りにした米飯を、僧侶が持っている大きなボウルに入れるのは、得度式に参集した婦人や子供たち。今日の得度式は金持ちの関係者なので、寄進によって食事の内容も良いのだそうだ。
都丸敬介(2006.04.05)
なんでもマルチメディア(452):ミャンマー旅行記(2)
3月18日(土)バガン(2)
シュエサンド・パゴダは広大な遺跡群を見渡す展望台である。手摺がついた急な石段を5層まで登り、回廊から見た景色は絶景だ。寺院あるいはパゴダの遺跡以外に建物はなにもない。日の出と日の入りの時間帯には大勢の人が集まるという。(写真)
イラワジ河を見渡すレストランで昼食。最初に出された天ぷらはミャンマー・ビールによく味があう。天ぷらの衣は米の粉。鶏肉のカレー、豚肉のカレー、野菜の炒めものなど、どれも味がよい。
昼食後ホテルにチェックイン。ミャンマー・トレジャー・リゾートという新しいレジェ?・リゾート・ホテルで、宿泊施設は8棟の2階建ての建物に分散している。レストランはプール脇の吹き抜けの建物。道路から建物まではかなりの距離があり、守衛が詰めている敷地の入り口近くに、遺跡のパゴダが三つ、椰子の木に囲まれて草の中に建っていた。
午後4時までホテルの部屋で休憩。日差しが強く、暑くなってきたので、冷房が効いた部屋での昼寝は快適だ。
巨大な立った姿の仏像と寝釈迦像があるマヌーハ寺院を拝観。タビィニュ僧院の庭で第二次世界大戦の日本人戦没者慰霊碑を参拝してから、イラワジ河のクルージング。20人ほど乗れる釣り船のような船で、乗客はガイドを含むわれわれ三人と乗組員二人だけ。河幅は数百メートルあり、流れているのが分からないほど穏やかで、聞こえる音は船のエンジン音だけ。護岸工事が全くない川岸から100mほど離れた河を北上すると、川岸の森の上に次々にパゴダの頭が現れる。家は見えないが、水浴や洗濯をしている人たちを見かける。バガンとマンダレーの間を10時間かけて移動するという、大型クルーザーが停泊していた。ナイル川のクルーザーに匹敵する立派な船だ。
黄金色に輝くシュエジゴン・パゴダを通り過ぎたところで折り返し。地平線に近づいて赤くなり始めた太陽が支配する雄大な景色は信じられないくらい美しい。船のエンジンを止めて、しばらく景色に見とれる。上陸して、ひょうたん型のブーバヤー・パゴダで日が沈むのを見送った。(写真)
都丸敬介(2006.04.04)
なんでもマルチメディア(451):ミャンマー旅行記(1)
3月18日(土)バガン(1)
昨夜7時頃ヤンゴンのセドナ・ホテル・ヤンゴンにチェックイン。東京の一流都市ホテルにも劣らない立派なホテルだ。ヤンゴンを見るのは後回しにして、今日の旅はバガンから始まる。早朝4時モーニングコール。5時にホテルを出て空港に向かう。ミャンマー人の若い女性ガイドと我々夫婦三人の旅が始まった。空港の待合室で、ホテルが用意してくれたパンと果物の朝食。6時30分発のジェット機に乗り、1時間強でバガンに着いた。バガンの空港は新しく、仏教建築風の空港ビルは清潔である。
現地の旅行会社がチャーターしたタクシーで、空港から町までは30分程度。道路が広く車が少ないので快適なドライブ。走っている車の8割は中古日本車だという。最初に訪れたのはニャンウーマーケットという町の市場。野菜や果物、魚、米といった食品のほかに、日常生活品や衣料品から骨とう品まで何でもある。食料品は生産者が運んできたもので、周辺の町の販売業者も仕入れにくるという。
バガンは大河イラワジ河のほとりにある、仏教寺院遺跡の町である。11世紀から13世紀にかけて建築された数千の寺院や仏塔が林立している。何度もの大地震があり、崩壊と再建が繰り返されてきたという。
最初に訪れたバガン郊外のシュエジゴン・パゴダは、黄金色に輝く巨大な釣り鐘型の建物だ(写真)。肉眼では見えないが、塔の最上部には巨大な宝石が埋め込まれているという。パゴダの入り口には屋根つきの大きな門前市があり、通路の両側に仏具屋や土産物店などが並んでいる。ここは聖域の中であり裸足で歩く。境内には中心になる巨大なパゴダのほかにも多くの塔がある。ミャンマーは人口の85%が敬虔な仏教徒であり、多くの塔や仏像は信者が寄進したもの。この国の仏教はお釈迦様だけを信仰の対象にしている。
町の中心部分にそびえ立つアーナンダ寺院(写真)は,東西南北のそれぞれの方角を向いた、高さ9mを超す大きな仏像が祭られている。この仏像の材料はチーク材だという。
都丸敬介(2006.04.03)
なんでもマルチメディア(450):ミャンマー旅行
一週間ばかりミャンマーを旅行してきました。インドとタイに挟まれて、これらの国と風土や歴史そして宗教が似ているミャンマーには以前から興味がありましたが、土地勘がないので、どこをどう回ればよいのか分かりませんでした。そこで、旅行会社のパンフレットやインターネットで情報を集めて、ある旅行会社のプランを利用することにしました。結果的には家内と二人で出かけて、現地のミャンマー人ガイドと三人で優雅な旅行をしてきました。
政治や経済の面では成長が著しい近隣諸国と比較して遅れているようですが、恵まれた国土と穏和な人たちに接して、すばらしい国だという感想を持ちました。ミャンマーの面積は日本の1.8倍、人口は4,400万人。85%が敬けんな仏教徒です。西のベンガル湾側にある大きなアラカン山脈に遮られて台風の影響はなく、広大な平野では米の三毛作が行われています。また宝石や錫などの地下資源があります。北部の山岳地帯ではスキー場の建設が始まっているとのことです。
日本からの直行便がないので、バンコクで乗り継いで首都のヤンゴンに入り、国の中央部にあるバガンとマンダレーを回りヤンゴンに戻りました。ヤンゴンを東京とすると、バガンは奈良に、マンダレーは京都に相当します。これらの都市の間は国内線旅客機で移動し、旅行会社がチャーターしたタクシーでそれぞれの地域を回りました。個別の見聞は後日報告いたしますが、高さが100mを超す黄金のパゴダや林立する大小多数の寺院遺跡には圧倒されました。日本人の旅行者は非常に少なく、目立ったのは、ドイツ、フランス、イタリアといったヨーロッパの旅行者でした。近い将来、人気が出る観光地になる予感がしました。
都丸敬介(2006.03.27)
なんでもマルチメディア(440):シニアの海外旅行
今年も、頂戴した年賀状の中に、海外旅行の写真が何枚かありました。現役を引退したシニア世代が、いろいろな国を旅して楽しんでいる様子を見聞きすると、自分のことのように嬉しくなります。
私もときどき海外旅行を楽しんでいるので、旅の方法を聞かれることがあります。私の旅のポリシーは極めて単純です。行く場所を決めたら、何日間か滞在するホテルを予約して、後のことは現地に行ってから考えるのが基本です。滞在するホテルに着いて最初にするのは、フロントか旅行案内デスクで、その場所を起点とする観光旅行の情報を集めることです。どこの都市に行っても、半日観光や一日観光、あるいは数日の観光旅行のメニューがいろいろあります。天気と体調を考えて面白そうなコースを選び、残りの時間で市内を歩き回ります。
一日のバスツアーでも、前の日に予約すればよいということを学習しました。ときには、一泊か二泊の魅力的なツアーを見つけることがあります。そのときは、大きな荷物をホテルに預けておきます。その間の部屋代を請求されたことはありません。
英国のスコットランドでは、エジンバラを起点にして、一日のバスツアーで400マイル(640km)を走ったことがあります。ネス湖を始めとする湖や高原地帯をまわり、スコッチウイスキーの醸造所で非売品の年代物をご馳走になりました。オーストラリアのケアンズでは、クルーザーで沖合に出て、浮島のような小さなヘリポートで乗ったヘリコプターで、水中の青い珊瑚礁を見下ろしました。
今年もまだ海外旅行に出かける体力が残っているので、どこに行こうかと夢を見ています。
都丸敬介(2006.01.08)
なんでもマルチメディア(422):アラスカの旅(5)
2005年8月30日(火)
アンカレッジの東100kmのウィティアーを出発点とする、プリンス・ウイリアムズ湾の氷河観光クルーズに参加。朝9時半にホテルを出発し、湖の畔にあるベギッチ旅行者センターで小休止してからウィティアーに到着。ウィティアーの手前に長さ4kmの一方通行トンネルがあり、かなりの時間待たされる可能性があるということだったが、あまり待たなかった。元は鉄道用のトンネルで、今も鉄道と自動車で兼用している。
午後1時に出発したクルーザーは、最大時速75kmの双胴船で、スピードを出してもほとんど揺れを感じない。しかしデッキに出ると風当たりが強く、カメラのシャッターを押すのが難しいほどだ。フィヨルドの奥にある氷河の先端を幾つか見て回った。船の近くにシャチやラッコ、アザラシなどが見えると停船する。
温暖化の影響で氷河の後退が進んでいるということだが、見上げるような氷河の末端が海に崩れ落ちる様子は迫力がある(写真)。流氷の間をラッコが泳ぎ、流氷の上でアザラシが体を休めている。
クルージングの時間は4時間半。8時頃ホテルに帰着。
2005年8月31日(水)
午前10時アンカレッジ空港発のJL8801便チャーター機で帰国の途に着いた。ホテルに迎えに来ることになっていたバスが故障したために、小型車に分乗するというハプニングがあり、アンカレッジ空港の安全検査装置が1台しか稼働していないために、検査待ち時間が大きかったことなどのトラブルがあったが、出発時間の遅れはなかった。
以前は出発ロビーに置かれていた、アンカレッジ空港のシンボル「大きなシロクマの剥製」は、安全検査場所に入るエスカレーターに下にあった。懐かしかった。
氷河の末端
都丸敬介(2005.09.08)
なんでもマルチメディア(421):アラスカの旅(4)
2005年8月29日(月)
天気はあまり良くないが、予約していた10時出発のマッキンレー山遊覧飛行機が飛ぶことになった。パイロットを含めて7人乗りの双発セスナに乗る。飛行時間は1時間強。離陸して20分ほどで雲の上に出た。雪に覆われた山々がまぶしい。説明がないので確認はできなかったが、マッキンレー山と思えるかなり高い山の近くを回った。
飛行場からはロッジに戻らず、アラスカ鉄道の駅に直接送ってくれた。アンカレッジまでのアラスカ鉄道の特急列車は1日1往復。アラスカ鉄道の車両の後に旅行会社所有の2階建て展望車が付く。展望車は2階が座席で1階が食堂。特急といっても速度は非常に遅い。急カーブの連続でスピードを出せないのだろう。
12時20分にデナリの駅を出発し、3時間ばかり走ったところで列車が動かなくなった。1時間くらいしてから、荷物車のブレーキホースが損傷したので修理中という情報が入った。6時20分にタルキートナで停車。タルキートナは大きな町でマッキンレー登山の基地になるという。
タルキートナを出発してしばらくしてから、故障した荷物車を切り離したので、荷物はアンカレッジから車で取りに来ることになったという説明があった。荷物が何時にホテルに着くか分からないということだが、誰も苦情を言わなかった。
午後10時頃、アンカレッジのマリオット・ダウンタウン・ホテルに着いた。以前、ノルウェーで、ベルゲンからオスローまで8時間くらいの高原列車の旅をしたときにも感じたが、ゆっくり走る列車の窓から、延々と続く山や森を見ていると、完全に時間を忘れてしまう。
マッキンレー山
都丸敬介(2005.09.07)
なんでもマルチメディア(420):アラスカの旅(3)
2005年8月28日(日)
午前中、フェアバンクスからバスで3時間ほど南下してデナリ国立公園に移動。以前はマッキンレー国立公園という名称だったが、伝統的な現地語のデナリに変えたという。四国+山口県ほどの広さがあり、山とツンドラが広がる。
12時過ぎに、国立公園入口にある宿泊場所のマッキンレー・シャレー・リゾートに到着。軽井沢のような雰囲気。比較的新しい旅行者センターで、本館には受付と売店およびレストランだけがあり、宿泊設備のロッジが広い森の中に点在している。そして、本館と各ロッジを巡回するシャトル・バスが走っている。
午後2時に片道100kmほどのドライブに出発。標高700mほどで森林限界を越えると、ツンドラ地帯が広がる。すでに紅葉が始まっていた(写真)。クマ、ムース、ヒツジなどの野生動物を誰かが見つけると、バスが停まって、皆が豆粒のような動物を捜しまわる。子連れのクマがバスのすぐ後ろを通って悠然とブッシュの中に入っていったときは興奮の歓声があがった。
5時過ぎに折り返し地点に到着。運転手が皆に熱いお茶を配ってくれた。給湯設備はバスに組み込まれている。自然環境保護のために、道路は一本しかなく、ゴミは全て持ち帰り、飲み残した飲料を地面に捨てることも禁じられている。電柱や看板などの人工的なものが全く目に付かない広大な景色はうらやましい。
デナリ国立公園
都丸敬介(2005.09.06)
なんでもマルチメディア(419):アラスカの旅(2)
2005年8月27日(土)
遅めの朝食後ホテルの近くを散策。道路は広いが閑散としている。ゴールデンハート・パークには、最初にこの町に住み着いたという無名の家族の大きな銅像が立っている。水量が豊かなチェナ川の向こう側に白いシンプルな教会が建っている。
午後3時に出発して、100km離れたチェナ温泉リゾートに向かった。チェナ温泉は、長さ45mの露天風呂(写真)を中心にして、ハイキング、ラフティング、4輪バイクのドライブ、遊覧飛行、キャンプ用テント、ホテルなどの設備が整っている。当たり前のことだが、露天風呂と室内の温泉は水着着用。かまぼこ型建物の氷の博物館の中には、中世をイメージした城と馬、ベッドがある部屋、バーなどが、すべて氷の彫刻で作られていた。
本館のレストランで夕食をすませてから、アクティビティー・センターという広い待合室のような場所でオーロラを待つ。センターの建物の裏が小さな飛行場になっていて、滑走路がオーロラを見る場所である。10時過ぎにようやく星が見えるようになった。北緯63度の高緯度なので、北極星がほとんど頭の真上にある感じ。北斗七星やカシオペア、天の川とその中にある白鳥座など、まさに満天の星空だ。けれどもお目当てのオーロラは現れず、午前2時に引き上げた。数日前は連続してオーロラが現れたということだが、相手が自然現象ではやむをえない。
アラスカ・チェナ温泉
都丸敬介(2005.09.05)