最近、スパイウェアによって他人の銀行口座から勝手に送金する、インターネット犯罪が相次いで発生しています。そして、その被害や手口が新聞やテレビで報道されています。
次々に現れるインターネット犯罪の中で、注目されている一つにボットネットがあります。ボットネットの語源はロボット・ネットワークとされています。ボットあるいはゾンビ・マシンと呼ぶ、不正動作を行う有害プログラムに感染したコンピューター群を、遠隔制御ロボットのように、外部からの指令で一斉に動作させることがボットネットの特徴です。制御指令を短時間に分配するのに、インターネット・リレー・チャット(IRC)を使うことが多いと報告されています。
ボットネットの不正使用例として、ボットをスパムメール(迷惑メール)の送信元とする分散サービス妨害(DDoS)攻撃や、感染したコンピューターの内部情報の収集が指摘されています。そして、ボットネットの規模は、ボットの数が数万台あるいは数十万台に達するという報告があります。ボットネットの被害を防ぐために、1万台以上のボットに指令を分配していたサーバーの運用を停止したという報告もあります。こうした報告から連想することは、同時多発サイバーテロリズムです。こわいですね。
コンピューターがウィルスやワームに感染すると、多くの場合は動作がおかしくなることで、コンピューターの所有者が被害を受けたことに気がつきますが、ボットの場合は気づかすにインターネット犯罪に加担することになりかねません。米国の文献に、このような有害ソフトウェアは、無償でダウンロードできるソフトウェアに組み込まれていることが多いので、僅かな費用を惜しんで無償ソフトウェアを使うことを避けるべきであるという警告がありました。
都丸敬介(2005.11.13)
なんでもマルチメディア(431):会津の小旅
知人の案内で、福島県会津地方の紅葉を楽しんできました。数ヶ月前に終了したNHKラジオ放送の番組に「食べて旅して」というのがありましたが、この番組のリポーターの体験や感激を実感するような一日でした。
最初の訪問地は、会津若松から西に20kmばかりの柳津(やないづ)です。尾瀬を源流とする只見川が悠然と流れている景勝地で、只見川ライン下りという小さな船旅ができます。川を見下ろす高台に800年頃(大同年間)に建立されたという寺があり、紅葉と川の組合せを撮影するカメラマンが大勢いました。
この小さな町の名物はきびまんじゅうです。数十年前の田舎の雑貨屋のような雑然とした小さな店には、車で乗り付けた人の行列ができていました。できたての黄色いまんじゅうは指に粘りつき、柔らかい餅のような感触です。
玉梨という小さな集落に、これも人だかりがしている豆腐屋がありました。名物は青豆豆腐です。炭火を囲んだテーブルで、作りたての豆腐をご馳走になりました。20分ほどの時間をかけて揚げた、厚さが5センチほどの厚揚げは都会の店では買えません。
延々と続く紅葉を見ながら峠を越えて、大内宿という江戸時代の宿場町に着きました。500mほどの広い道の両側に、同じ形をした大きな茅葺きの家が整然と並んでいます。周辺の稲刈りが終わった農地や背景の山と合わせて、心憎いほどに美しい景観が保存されています。年間70万人もの観光客が訪れる人気の場所だそうで、駐車場の手前は長い車の行列ができていました。多くの家がそば屋と土産物屋になっています。1500円の定食は、量が多い名物のそばに、つきたての餅がたっぷり付いていました。こういう雰囲気と味わいは日本人の心の故郷なのかもしれません。
都丸敬介(2005.11.07)
なんでもマルチメディア(430):プッシュ・ツー・トーク
NTTドコモが「プッシュトーク」、auが「ハローメッセンジャー」のサービス名称で、新しい携帯電話サービスを始めるということです。これは、携帯電話が普及する以前に多くの人たちが利用していたトランシーバーと同様に、話者が送信するときには送話ボタンを押し、送話を終えるときは「オーバー」あるいは「終わります」などと言って送話ボタンを切る、交互通話サービスと同じようなサービスです。1対1通信だけでなく複数のユーザーで同時に通話できます。これをプッシュ・ツー・トーク(PTT)と呼びます。
米国では、1996年にネクステル・コミュニケーションズ社が「ダイレクト・コネクト」の名称でサービスを開始したという記録がありますが、あまり普及したようには見えませんでした。2003年以降に、ベライゾン・ワイヤレス、スプリントPCSなどの通信事業者が同様のサービスを始めました。異なる通信事業者のPTTサービスは互換性がないことが問題点として指摘されていましたが、2004年には、モトローラ、エリクソン、シーメンスの携帯電話機メーカー3社が、各社の携帯電話機のPTT互換性を実現する共同実験を始めたことが報じられました。
NTTドコモとauの電話機は互換性がないようですが、このサービスがどのような年代層に浸透するのか興味があります。auのサービスは音声だけでなく文字メッセージや画像も同時に送ることができるようなので、新しい若者文化が生まれるかもしれません。
都丸敬介(2005.10.29)
なんでもマルチメディア(429):ガンダーラ美術
今日(2005年10月24日)の日本経済新聞・文化欄に、パキスタン政府が愛知万博で展示した釈迦苦行像を鎌倉の建長寺に寄贈したいきさつの記事がありました。この仏像はガンダーラ美術の代表的傑作で、パキスタンのラホール国立美術館に保管されているもののレプリカだということです。駐日パキスタン大使が書いた新聞記事の「偶像崇拝を否定するイスラムの国であるパキスタンが作った最初で最後のレプリカになるだろう」という一文に心を打たれました。
私がガンダーラ美術に出会ったのはロンドンの大英博物館です。日本の仏像や、ギリシャの古代彫刻、そしてミケランジェロの作品などになじんでいた眼に、ガンダーラの仏像群がもたらしたショックは強烈でした。美術や歴史を深く勉強してきたわけではないので、感じたことをストレートに受け取っただけですが、このときのショックが忘れられず、その後も何度か大英博物館にガンダーラの仏様を見に行きました。子供の頃から見慣れてきた柔和な仏像は癒しをもたらしてくれますが、より人間的なガンダーラの仏像は励ましを与えてくれるように思えます。
あと一ヶ月もすると鎌倉も秋の色になります。久しぶりにカメラを持って建長寺に行ってみようかなと考えています。
都丸敬介(2005.10.24)
なんでもマルチメディア(428):固定電話と携帯電話の融合
電気通信事業が自由化され、NTTが民営化すると同時に多くの通信事業者が生まれた1985年から20年たちました。この間に携帯電話やインターネットの急速な発展がありました。さらに、これらの影響を受けて、電話事業の新たな大転換が始まっています。
中でも注目すべきことが固定電話と携帯電話の融合です。このことを固定・移動通信融合サービスあるいはFMCといいます。FMCはフィックスド・モバイル・コンバージェンスの略です。FMCでは1つの携帯電話機を、屋外では通常の携帯電話として使い、屋内では固定電話網につながるコードレス電話機として使います。
FMCの効用について、家にいるときは通信料金が安い固定電話を使えるという説明があります。これは事実ですが、FMCに期待される効果は通信料金の低減だけではありません。より重要なことは、一つの電話番号を日本中どこにいても使えるようになることです。固定電話の分野ではIP電話が急速に発展しています。FMCとIP電話の結合は、さらに多くの新しいアプリケーションを生み出す可能性を持っています。
英国のBT(ブリティッシュ・テレコム)が携帯電話のボーダフォンと提携して、ブルーフォンという名称のFMCサービスを2005年6月に開始しました。このサービスでは、屋内ではブルートゥースという近距離無線LANのアクセス・ポイントを経由して、電話機を固定電話網につなぎ、屋外ではGSM方式の携帯電話回線に同じ電話機をつなぐことで、通信料金の最適化を実現しています。
FMCの実現では、電話番号をどうするかということが大きな問題です。先月、日本国内のFMCサービスを2007年度にも実現する方向で、総務省が固定電話番号と携帯電話番号を一本化する検討を始めるという報道がありました。この方針が決まると、大きな事業機会が生まれると考えられます。
都丸敬介(2005.10.16)
なんでもマルチメディア(427):技術の目利き
なんでも鑑定団というテレビ番組を見ていて、鑑定人の知識とよく勉強していることに、いつも感心しています。以前、時代小説の中で、茶道具などの目利きを育成するのに、徹底的に良い物だけを見せるという場面を読んだ記憶があります。そうすると、直感的に本物と偽物を見分ける能力が身に付くというのです。こうした能力に加えて、鑑定人は、本物と偽物あるいは良い物と悪い物を見分けた理由を、客観的に説明しなければなりません。
私は何年か前に、技術の目利きの仕事を手伝ってもらえないかという依頼を受けたことがあります。その場で辞退したので、その後どうなったか知りませんが、この話とは関係がないところで、技術の目利きに取り組んでいるという話を最近続けて聞きました。進歩が早く競争が激しいIT分野では、製品を使う側も提供する側も、適切な選択判断ができる技術の目利きを求めているようです。
技術の目利きには、実際に技術開発あるいは製品開発に携わった経験が必要です。文献から得た知識だけでは、理屈は分かっても、大きさや性能あるいはコストなどを総合的にとらえたバランスの取れた判断は困難です。どのような技術あるいは製品も、それが効果的に能力を発揮できる条件あるいは限界があります。同じものでも、適用条件によって判断の結果が異なることがよくあります。
このことが当てはまるのは、技術や製品の目利きだけではありません。多くの技術的な解析や社会現象の分析でコンピューター・シミュレーションが使われていますが、シミュレーション・モデルが成り立つ条件の範囲を逸脱したために生じたおかしなデータを、気づかずにそのまま発表した事例を目にすることがあります。このようなときは常識を疑いたくなります。しかし一方では、おかしなデータが生じた原因の分析が、新たな発見につながることがあります。技術の目利きは案外面白い世界かもしれません。
都丸敬介(2005.10.10)
なんでもマルチメディア(426):カナダの紅葉
カナダの紅葉の名所ローレンシャン高原で、小型遊覧飛行機が墜落して日本人観光客が死亡するという痛ましい事故が起こりました。大きな楽しみが突然の死に暗転した人たちのことを思うと言葉がありません。私も3年前の今頃、ローレンシャン高原に紅葉を見に行ったことがあるので、今度の事故に無関心ではいられません。
ローレンシャン高原はモントリオールとオタワのどちらから行っても、車で2時間はかからない広大な場所です。ガイドブックには「モントリオールの北西50kmら150kmの一帯に広がる丘陵地帯」という説明があります。私はモントリオールから車で出かけて、小さな町を見たり、湖を一周する観光船に乗ったりしながら、スキー場があるトランブランという場所まで行きました。道路の両側は見渡す限り一軒の家もなく、色づいた森や山が延々と続きます。カナダの国旗になっているカナディアン・メープルの紅葉を期待していたのですが、圧倒的に多いのは黄葉でした。それでもトランブラン・リゾートの中を歩いていると、見事な紅葉に出会うことができました。
現役時代、紅葉の時期にオタワで開かれた、日本とカナダの2国間技術交流会に参加したことがあります。このとき、オタワにある国会議事堂の庭に植えられている何本ものメープルが見事に紅葉していました。この議事堂の脇を流れているオタワ川の岸には、小型水上機を係留する木製の台が点在しています。広大な森と湖の国カナダでは、多くの人が自家用の小型水上機を自動車のように利用しています。
このような国で起こった遊覧飛行機の墜落は信じがたいことですが、徹底した事故原因の解明が必要です。日本の新聞も、事故発生の報道だけでなく、解明された事故原因を詳しく解説してほしいと思います。
都丸敬介(2005.10.02)
なんでもマルチメディア(425):日時計
現在の小中学校の理科の授業で、日時計を使って時間を計る方法を教えているかどうか知りませんが、旅先で日時計に出会うことがよくあります。古い立派な日時計を見ると、それを作った人や時代の様子が目に見えてくるような気がします。
インドのデリーから250kmばかり離れたジャイプルに、世界一という巨大な日時計があります。天文学を勉強したマハラージャが1730年頃に建設したものです。高さは27.4mあるそうで、2秒単位で時刻を測ることができるということです。この日時計が設置されている場所は、当時の最先端天文観測所で、いろいろな興味深い観測機器があります。
時計といえば、ジュネーブの時計博物館で、柱時計の原型のような大きな木製の時計を見たことがあります。いくつもの木製歯車を組み合わせたもので、動力源は太い縄の先にあるおもりです。水車のような木製の輪の回りに、丸い棒を等間隔で埋め込んだ歯車がきちんと動いているのは見事でした。
こうしたものを見ていると、初めてこれを見た子供たちがどのように反応するのか興味がわいてきます。物心がついたときから、近代科学技術の粋をつくしたものに囲まれた環境で育つと、基本的な物事に対して反応しなくなるのか、それとも新鮮な感動を覚えるのか知りませんが、好奇心を示すことを願います。
ふと思いついて、手元の百科事典で時計の項を開いたところ、「時計という語は、英語のtimekeeperあるいはフランス語のgarde-tempsに相当する」という記述がありました。これで知識が一つ増えました。
都丸敬介(2005.09.25)
なんでもマルチメディア(424):音声合成技術
ある企業の研究所で見学した最新の研究成果の一つに、パソコン画面に表示されている文書を読み上げる音声合成技術のデモンストレーションがありました。このデモンストレーションでは、小説の一文を読んでいましたが、イントネーションや間合いの取り方がプロのナレーターにかなり近いという印象でした。
音声合成の研究の歴史は長く、すでに多くの設備や機器に、合成音による音声ガイド機能が組み込まれています。しかし大部分は、比較的短い定型的な文節を組み合わせるものであり、小説のような任意の文章を、感情を込めて表現できるレベルには達していません。
文章を読む機械がどのようなところで有用かというと、目が不自由な人や病人を想定することが多いようですが、その利用範囲はかなり広いはずです。ラジオの番組に小説の朗読があります。自分で選んだ小説の朗読に目をつぶって聞き入ることができれば、多くの人たち、特に病人や高齢者は大喜びするでしょう。外国の新聞・雑誌を日本語に自動翻訳して読み上げるのを聞き流せるようになれば、現役のビジネスマンにも利用が広がると思います。通勤電車のなかで小説を読んでいる人が沢山います。揺れ動く混んだ車内で本を読むのはかなり疲れますが、機械が読み上げる声を耳で聞くならば、疲れも少なく、快適な時間を持てるはずです。
聞く人が違和感をもたないような自然な音声を、携帯機器で合成できるようになるまでに何年かかるか分かりませんが、この分野の研究がもっと活発になることを期待しています。音声合成の究極の目標は何かと考えると、いろいろなアイデアが浮かびます。聴きたい歌や自分で歌いたい歌の楽譜をパソコン画面に表示して、自分の声に合わせて機械に歌わせることができれば、新たな楽しい時間が生まれることと思います。
都丸敬介(2005.09.18)
なんでもマルチメディア(423):敬老の日
近づいてきた敬老の日にちなんで、ある新聞のコラムに「だれしも年は取りたくないと思っている」という書き出しに一文がありました。私も70才を過ぎた老人の一人ですが、年は取りたくないと思ったことがありませんので、この断定的な一言には疑問を感じました。もちろん体力や持久力、あるいは集中力の低下を実感していますが、これらは当然のこととして受け入れています。
50台後半には、60才になるのを待ち遠しく思っていました。早く定年になり、自分の意志だけで時間を使えるようになることに憧れていたのです。結局60代後半までサラリーマン生活をしましたが、自由の身になるのが遅すぎたとは感じていません。この間に夢が大きくなっていたのです。
海外旅行で知り合った人たちの中には、70代後半から80代でかくしゃくとしている人が少なくありません。これらの人たちに共通していることは好奇心が強いことです。なんでも見てみよう、なんでも体験してみようという気持ちが持続する限り、年齢のことは気にならないのかもしれません。
2007年に団塊世代が一斉に定年年齢に達するということで、いろいろな話題が生まれています。終戦で再出発した私たちの国が今年は還暦を迎えました。近年の惰性で年老いた国になるのではなく、これからの日本がどのような国に若返るのか楽しみです。
都丸敬介(2005.09.11)