なんでもマルチメディア(462):アメリカのグランドサークル

 西部劇映画を始めとする、アメリカの多くの映画のロケ地として有名な、アリゾナ州のモニュメントバレー(写真1)を中心とする、半径230kmほどの巨大な円がグランドサークルと呼ばれています。この円の中には、八つの国立公園と、16の国定公園が含まれています。先週、この中のザイオン国立公園、ブライスキャニオン国立公園、グランドキャニオン国立公園、レインボーブリッジ国定公園、モニュメントバレーを回ってきました。グランドキャニオンは有名ですが、ザイオンやブライスキャニオンも、それぞれに違った個性を備えた山岳地帯で、スケールの大きさに圧倒されました。
写真1:モニュメントバレー.jpg
ザイオンの目玉は、世界最大級の一枚岩という高さ700mの岩山です。ほとんど垂直に感じられる岩壁は、日本では見られない迫力があります。ブライスキャニオン(写真2)は何百もの巨大な岩の塔がひしめいています。この塔は岩盤が削られてできたものなので、車を降りたところの展望台からは全体を見下ろすかたちになります。第一印象は、中国・西安にある秦の始皇帝が造った兵馬俑とそっくりだということでした。岩の間を百数十m下の川まで下り、巨大な塔を見上げながら、降りた高さだけ上るのはかなりきつい運動でしたが、赤い岩肌と濃紺の空のすばらしいコントラストを楽しむことができました。グランドキャニオンでは目の前を悠然と舞うコンドルを見ました。
写真2:ブライスキャニオン.jpg
 グランドキャニオンから国際線の出発点のラスベガスに戻る途中、セドナという、軽井沢に似た観光地に泊まりました。付近には、アメリカインディアンの遺跡や、ボルテックスという強い地磁気が渦巻いている場所があります。自然の不思議を改めて体験しました。
都丸敬介(2006.05.29)

なんでもマルチメディア(461):交通博物館

東京・神田の交通博物館が今日(2006年5月14日)で閉館になるという、朝のテレビ・ニュースを見て、また一つの時代の転換を感じました。20世紀の産業の発展を支えた重要な社会基盤の一つが鉄道であることはいうまでもありません。そして、現在も多くの国で高速鉄道の建設が進んでいます。
 交通博物館は秋葉原の電気街の一部といってもよい場所にあるので、1970年代までは、秋葉原に行ったついでにときどき見学に行きました。その後は足が遠のきましたが、何時行っても、子供たちが眼を輝かせて展示品や模型を楽しんでいた光景を思い出します。交通博物館に通った子供たちの中から多くのエンジニアが育ったことでしょう。
 海外の交通博物館では、イギリスのバーミンガム鉄道博物館(現在のタイズリー機関車工場ビジター・センター)が印象に残っています。19世紀から20世紀初期にかけて世界の鉄道技術をリードしたイギリスの鉄道車両が保存されています。ここに行ったのはかなり前のことなので、記憶が不鮮明ですが、巨大な機関車の迫力に圧倒されたことを覚えています。
 今日閉館する交通博物館は、2007年度に新しい鉄道博物館として、さいたま市にお目見えするということです。新博物館は、敷地がこれまでの8.5倍あり、展示床面積も広くなるようなので、高齢者にも楽しめる新しいテーマパークになることを期待します。
都丸敬介(2006.05.14)

なんでもマルチメディア(460):ディジタル・シネマ

映画の制作から、配信、上映までの全工程をディジタル化した「ディジタル・シネマ」が、ようやく実用の段階に達したようです。2004年10月に開催された第17回東京国際映画祭でデモンストレーションが行われた後、2005年にはハリウッドのメジャー映画制作スタジオの標準技術仕様DCI (Digital Cinema Initiatives)標準が発表されました。
 ディジタル・シネマの規格には、画素数800万(横4,096×縦2,160)の4Kと、画素数200万(横2,048×縦1,080)の2Kの2種類があり、DCI標準には4K規格が採用されたということです。この解像度はハイビジョンよりもはるかに高精細です。
 技術面では映像情報のセキュリティ保護機能が注目されます。不正コピー防止のために、映像情報データを暗号化して映画館に配信し、上映装置で復号する仕掛になっています。暗号化したデータを復号するのに必要な暗号鍵の配送にも暗号技術を使っているので、不正コピーは非常に難しいようです。また、上映中の映像盗撮対策として,盗撮が行われた時刻と場所を特定できる電子透かしを埋め込む技術の開発が進んでいることが報告されています。
 データ量が多いので、映像情報の最大ビット速度は250Mビット/秒と高速ですが、高速光ファイバー・ネットワークの普及によって、新作映画配信の体制や映画産業が大きな転換期を迎えたようです。
都丸敬介(2006.05.07)

なんでもマルチメディア(459):ダ・ヴィンチ・コードの暗号

2003年に出版されて世界的なベストセラーになった、ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」が、いろいろな話題を提供しています。「主題はキリスト教の聖杯伝説を背景にした、現代的なアクションドラマであり、暗号解読が重要な伏線になっている」というのが私の感想です。
 この小説で使っている暗号は、文字遊びの一つですが、それだけに感覚的に親しみを持てます。ただし、暗号の鍵にフィボナッチ数列という古典的な数列を使っているところがスマートです。
この小説を盗作だとする著作権侵害訴訟を担当した裁判官が、小説の中で使われている暗号方式を使って、裁判とは関係がない字句を判決文の中に埋め込んだことが分かって、英国の新聞をにぎわせたということです。目くじらを立てる人がいるかもしれませんが、ぎすぎすした今の時代では、こうしたユーモアは楽しいです。
 日本の旅行会社が、この小説の舞台になった場所を訪ねるツアーを企画して発売しました。小説の冒頭で殺人事件が起こったパリのルーブル美術館や、後半の舞台になったロンドンのあたりを回るようです。このツアーにはレオナルド・ダ・ヴィンチゆかりのイタリアは入っていないようですが、ミラノにあるレオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館にまた行ってみたくなりました。
都丸敬介(2006.05.02)
ダビンチコード(上下)

なんでもマルチメディア(458):スカイプの光と影

世界中で無料通話ができるインターネット電話として、利用者が増え続けているスカイプ(Skype)のデモンストレーションを体験しました。
 スカイプは、ルクセンブルグのスカイプ・テクノロジーズ社が開発した、インターネットを利用しているパソコンユーザー同士による、リアルタイムの会話を実現するソフトウェアです。一対一の通話に加えて、複数のユーザーが同時に会話に参加できる多地点通話や、ビデオ通話、文字メッセージによる情報交換などができます。2003年に無料ソフトの提供が始まり、日本語版もインターネットを経由してダウンロードできます。
 スカイプは、通信技術者たちが数十年間にわたって実現に取り組んできた、複数のユーザーが今いる場所で会議に参加できるデスクトップ会議システムを、きわめて経済的に実現した、すぐれた技術であり、サービス支援体制もよくできています。
 スカイプには大きな魅力がありますが、デモンストレーションを体験して、いくつかの危険を感じました。第一は、ファイル交換ソフトウェアのウイニーで問題になっているインターネットを悪用する情報漏洩です。スカイプの運用サービスで、情報漏洩に対してどの程度の保安対策がとられているか分かりませんが、狙ったユーザーの情報を収集することは、普通の電話を盗聴するよりもかなり容易だと考えられます。しかも、電話の盗聴は法律で規制されていますが、スカイプの盗聴は合法的にできるはずです。
 第二の問題は、普通の電話の代わりにスカイプを使おうとすると、インターネットに接続したパソコンを常に動作状態にしておく必要があることです。インターネットの常時接続ユーザーがハッカーの攻撃対象になりやすいことや、電力エネルギーの浪費につながることは、すでによく知られていることです。
 このほかにも、従来の電話サービスと比較すると、サービス品質面でスカイプにはいくつかの問題があります。どうやら、スカイプの光と影の両面の啓蒙が必要なようです。
都丸敬介(2006.04.23)

なんでもマルチメディア(457):シニアー・パソコン教室

 住んでいる市のボランティア活動の一つ、高齢者を対象とするパソコン教室の手伝いを頼まれて、かなり多くの時間を取られる状態になってしまいました。
 10年近く続いている教室で、受講者資格は、男性が60才以上、女性が55才以上ということになっています。受講者は女性が圧倒的に多いという状況です。何人かの人に、パソコンの勉強を始めた動機を聞いたところ、孫と会話をするときの共通の話題になる、定年退職したご主人のために同窓会の名簿や会合の案内状を作ってあげる、などといった、ほほえましい答えがありました。皆、最初は、パソコンの電源を入れたり切ったりするのにも苦戦したようですが、いまではUSBメモリーを持ち歩いて、データの収集を楽しんでいる人もいます。
 教室の雰囲気は、企業の社員教育や大学の講義とは全く違いますが、話をしながら感じる反応が非常にはっきりしています。多彩な学習者に、何をどう説明すればよいかといったことを考えていると、私自身も楽しくなってきます。講座のヒントを得るためにパソコンショップを歩き回っていると、料理教室の講師が食材を探しているときも同じような気持ちになるのかなと、ふと思います。
 パソコンの教科書に頻出するカタカナ言葉をできるだけ使わずに、講座のテーマとして取り上げた内容をしっかり受け入れてもらうことは簡単ではありませんが、新しい経験の蓄積が始まりました。
都丸敬介(2006.04.16)

なんでもマルチメディア(456):ミャンマー旅行記(6)

3月21日(火)ヤンゴン(2)
 今回の旅行を締めくくるミャンマーのハイライト、ヤンゴン市内のスーレー・パゴダとシュエダゴン・パゴダを拝観。スーレー・パゴダは高さ46m、シュエダゴン・パゴダは高さ100mの釣り鐘状のパゴダである。(写真)
シュエダゴン・パゴダ.jpg
シュエダゴン・パゴダは小高い丘の上にあり、境内のエレベーターを利用する。巨大なパゴダの周りには、多くの信者が寄進した大小様々のパゴダや仏像が並んでいて壮観である。大理石の床に座って祈る人、花束を供える人、安産を願う人など、この国の人々に根付いている信仰を強く実感する。塔の最上部には76カラットのダイヤモンドを始めとして、7千個を超す宝石が埋め込まれている。肉眼では見えないが、夜ライトアップしたときに輝くダイヤモンドが見える場所が町の中にあるという。
 チャウッターチー・パゴダは比較的新しい。全長70mの全国で三番目の巨大な寝釈迦が、鉄骨組の屋根が付いた格納庫のような建物に収まっている。壁はなく、吹き抜けで涼しいためか、お釈迦様と同じ姿で昼寝をしている人が何人もいる。平和でほほえましい。
 ヤンゴン最大のポーチョーアウンサン・マーケットはイスタンブールやカイロのマーケットと同じような雰囲気で、日用品や土産物などなんでもある。ガイドの女性も小さな店を一軒持っていて、ガイドの仕事がないときは、ここで商売をしているという。ミャンマーの給料は、ヤンゴンの企業に勤めている人の事務職が月額100米ドル、外資系企業社員が300米ドル程度。通貨はチャットだが、どこでも米ドルが使える。
 5時にホテルをチェックアウトして空港に移動。バンコク経由の帰国の途についた。短い期間ではあったが、充実した毎日だった。移動が効率的で、時間に十分なゆとりがあったので、疲れることもなく良い旅だった。
都丸敬介(2006.04.08)

なんでもマルチメディア(455):ミャンマー旅行記(5)

3月19日(日)ヤンゴン(1)
 朝6時過ぎにホテルを出発。双発のプロペラ機で1時間半飛んでヤンゴンに戻った。ヤンゴン空港からは市内ではなく、80kmばかり離れた古都バゴーに直接向かった。道路が広く、車が少ないので快適なドライブが続く。樹齢百年を超える大きな街路樹の間を走るのは気持ちがよい。通過した町や村はどこも清潔で穏やかな感じがする。
 バゴーのシュエモード・パゴダは高さが114mという、ミャンマーで一番高い壮大な金色のパゴダである。1,200年以上前に建立されたときの高さは23mだったのが、改築のたびに高くなったという。現在のものは、1931年に地震で崩れたのを1954年に再建したものである。エジプトのピラミッドは大きな石を積み上げたものだが、ミャンマーのパゴダは小さな煉瓦を積み上げたものだ。この建築技術と努力には強い意志を感じる。(写真)
シュエモード・パゴダ.jpg
全長55mのシュエターリャウン・パゴダの寝釈迦には圧倒された。この寝釈迦は映画「ビルマの竪琴」のロケ地になったという。ミャンマーに来て寝釈迦と涅槃仏の違いを認識した。主な違いは足の組み方と足の裏、そして頭を支える腕の形だという。寝釈迦の足の裏には108の絵が描かれている。(写真)
シュエターリャウン・パゴダの寝釈迦仏.jpg
 チャイプーン・パゴダは東西南北を向いた四体の巨大な座仏である。建物はない。15世紀に建立されたものであるが化粧直しをしているのでピカピカしている。
 ヤンゴンに戻って最初に泊まったセドナ・ホテル・ヤンゴンにチェックイン。インヤー湖畔の市内最高級のレストランで夕食。湖に係留された船を模したレストランで、見学だけでも入場料が必要だという。食事は品数が多いビュッフェスタイル。席はショーの舞台がよく見える良い席だった。ミャンマーの伝統舞踊はタイやインドネシアと似ているが、洗練さでは劣る。ドイツ人やフランス人のグループが目立った。
都丸敬介(2006.04.07)

なんでもマルチメディア(454):ミャンマー旅行記(4)

3月19日(日)マンダレー(2)
 マハムニ・パゴダ拝観。本尊は高い段の上にあり、信者が金箔を張り付ける。ただし、内陣は女人禁制で男性しか金箔を張り付けられない。真偽のほどは確かでないが、数百年にわたる金箔の張り付けで、仏像はかなり太ったはずだという。(写真)
マハムニ・パゴダ.jpg
ホテル・マンダレーにチェックイン。ヤンゴンで泊まったホテルの系列で新しい。たっぷり昼寝をして4時に午後の見学に出かけた。
旧王宮は一辺が3kmの正方形の敷地にあり、城壁とその外側の幅広い堀に囲まれている。現在は軍が管理しているので、敷地内にはいるときの身元確認は厳しい。海外旅行者はパスポート番号を届け、タクシーの運転手は運転免許証を預ける。ただし城壁の内側では軍人を見かけなかった。王宮の建物があるのは中心部の一部分だけで、そのほかの場所では一般人が生活している。王宮の建物は第二次世界大戦中に焼失したのを復元したもの。壮麗な建物を見事に再建している。
 チーク材で作られたシュエナンドー僧院を見学。当初は金箔が貼ってあったというが、今ははがれて黒ずんでいる。建物内外の壁面は多数の四角い枠に区切られて、その中に彫刻が施してある。長い年月の雨風にさらされたにも関わらず、金箔が残っている手の込んだ彫刻が見られる。
今日の最終目的地である、マンダレーの町を見下ろすマンダレーヒルの手前でクドードォ・パゴダを拝観。このバゴダはバガンのシュエジゴン・バゴダを模したという。巨大な金色のパゴダの周囲に白亜の小さなパゴダが整然と並んでいる。その数は729。一つ一つのパゴダの中には、畳半分ほどの石版に刻まれた梵語の経典が収められている。世界最大の経典だという。(写真:経典を収めた小パゴダ群)
クドードォ・パゴダ.jpg
マンダレーヒルは平地の中に盛り上がった高さ200mを超す丘で、頂上部分全体が裸足で入る聖地になっている。エレベーターがあるが停電のため長い石段を歩いて登った。見下ろす王宮の北側にはサッカー・スタジアムやゴルフ場が並び、その向こうには広大な水田が広がっている。
都丸敬介(2006.04.06)

なんでもマルチメディア(453):ミャンマー旅行記(3)

3月19日(日)マンダレー(1)
 出発時間が早いので5時半にホテルのプール際のレストランで朝食。月と幾つかの星が輝いていた。空気が澄んでいて気持ちがよい。6時15分にホテルを出発。飛行機でマンダレーに移動。バガン?マンダレーの飛行時間は30分程度。マンダレー空港で大きな日の出を見た。この空港は数年前に完成した新空港で、マンダレーの町までは車で1時間ほどかかった。
 マンダレーはヤンゴンに次ぐミャンマー第二の都市で、19世紀には首都だったところ。旧王宮を中心にして碁盤目の街路が整然としている。最初に、湖にかかる木造のウーベイン橋に行った。この橋は、川向こうの住民が町のお寺を参拝できるように、王様が作らせたという。幅2mほどの長い橋で、チーク材の丸太の柱で支えられている。欄干はない。車は通れないが、自転車を押している人がかなり多い。でも、自転車に乗っている人はいない。今は水面まで数mあるが、湖が増水する雨期はかなり怖いらしい。橋の途中にベンチがある屋根付きの休憩所がある。人気があるデートスポットだという。(写真)
湖にかかる木製の橋.jpg
 昼食時間に会わせてマハーガンダーヨン僧院を見学。900人ほどの僧が修行している巨大な僧院で、見習い少年僧も多い。少年僧は梵語の勉強から始めて、試験に合格すると一人前の僧になれる。優れた僧はヨーロッパに海外留学する制度があるという。食事は早朝と昼の2回だけ。少年少女の集団得度式が行われていて、大広間で親類縁者たちがにぎやかに食事をしていた。(写真)その中に入ってアイスクリームをご馳走になった。ご馳走になるのが見学者の礼儀だという。僧たちの食堂は広い。食堂の外で並んで順番に食事を受け取る。皿に山盛りにした米飯を、僧侶が持っている大きなボウルに入れるのは、得度式に参集した婦人や子供たち。今日の得度式は金持ちの関係者なので、寄進によって食事の内容も良いのだそうだ。
得度式の少年少女.jpg
都丸敬介(2006.04.05)