なんでもマルチメディア(627):会議室のパソコン

新聞で面白い記事に目が留まりました。ある会社で、役員会の参加者が持参するパソコンをiPadに取り換えたところ、会議の雰囲気が引き締まったというのです。ノートパソコンだと、参加者の目線がディスプレイに向きがちで、互いに表情が分かりにくかったが、iPadは机の上に平らに置くので、画面から目を離して前を向くようになったことが影響していると、iPad効果を分析しています。

この話の筋は理解できますが、そもそも何のために会議室にパソコンを持ち込んで、どのような使い方をしていたのかということが納得できません。一口に会議といっても、その目的や記録のまとめ方はいろいろあります。結論を出すことを目的としない情報交換会であっても、取り上げた話題や参加者の発言の記録は大切です。

この新聞記事には「iPadの入力操作に慣れていないためか、参加者が懸命にノートをとるようになり、会議の雰囲気が引き締まった」とありますが、各自がノートを取らなくても、きちんと記録が残り、その内容をその場で確認できることが、パソコンを使うことの大きな効果です。

 パソコンを始めとする情報通信機器が普及した現在、こうしたICT環境での会議の進め方について、改めて考える必要がありそうです。

都丸敬介(201072)

なんでもマルチメディア(626):写真のクリップ

日常的な散歩の途中や旅行先で写した花の写真をパソコンで見ていると、思いがけない美しさに気づくことがあります。このようなときは、パソコンで写真を切り抜いて、自前のクリップ・アートを作っています。
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パソコン文書に挿入して使える写真やイラストのクリップ・アートはいくらでもありますが、自分で写真のクリップを作るのも楽しいことです。私が作った写真クリップの一部を添付ファイルで送ります。添付ファイルは白い部分が透明になっているGIF形式です。ワードやエクセル、パワーポイントなどの文書に挿入すると、ちょっとしたアクセントになります。

 指導をしているシニア対象パソコン教室で、このような花の写真クリップを受講者に進呈すると、みんな喜んでいます。

 clip2.gif多くの花は輪郭の形状が比較的単純なので、マウスを使って切り抜きができますが、複雑な形状の切り抜きにはペンタブレットを使っています。今使っているペンタブレットは、2005年に開かれたハンドレッドクラブの会合で知り合った(株)ワコムの方にお世話になったものです。小型で低価格のものですが、その後購入した大型の高性能のものよりも写真の切り抜きには適しています。

 

 

clip3.gif複雑な写真の切り抜きには何時間もかかることがあります。長い時間パソコンの画面に視線を集中して無心に切り抜きに没頭していると、頭がすっきりしてきます。手足の筋肉を使うわけではないので、体全体がリラックスします。写真のクリップは時間がたっぷりある高齢者に適した遊びといえます。

都丸敬介(2010年6月21日)

なんでもマルチメディア(624):iPadの教訓

 米アップルの多機能携帯端末iPadが日本でも発売になり、大きな反響を呼んでいます。iPadは新しい形態の電子書籍端末として注目されていますが、すでに複数種類の電子書籍端末が存在しています。それなのに、なぜ日本でiPadのようなものが開発されなかったのかという議論がほとんどありません。

 

 新しいものを実現するには、こんなものが欲しいという夢、描いた夢を実現する執念、夢を実現するための支援体制、製品やシステムの実現に必要な要素技術などが必要なことを、過去の多くの事例が示しています。

 

 国際的な情報通信分野での存在感が低下している日本が、1980年代の元気を取り戻すためには、iPadのようなものがなぜ日本で出現しないのかといったことを声高に議論する必要があります。多機能携帯端末の分野には日本発の優れた技術や利用経験が多くあります。これらの資産と夢を結びつけると何を生み出せるかという議論も必要でしょう。たとえば、iPadのディスプレイを電子ペーパーで実現して、コンテンツを見るときにはポケットから取り出して広げて使うといったことがあります。

 

 iPadを手に入れるために泊り込みで並ぶエネルギーを、日本発の新製品に活かすことを、現役を引退したオールドエンジニアの一人として期待しています。

 

都丸敬介(201061)

なんでもマルチメディア(623):イタリアの中の小さな国

ita1.JPG2010430日、ミラノから350km離れたサン・マリノに日帰りで行ってきました。サン・マリノは鉄道の幹線から離れていて交通が不便なので、1泊することも考えましたが、旅行会社と相談した結果、運転手つきの車をチャーターして、往復700kmのドライブをしました。

 サン・マリノは4世紀に出現した世界最古の共和国で、現在の人口は31 千人です。1970年代の文献では世界の最小国になっていましたが、インターネットで調べると、現在は国連加盟国の中では小さいほうから5番目になっています。

サン・マリノはアドリア海から10km離れた平地にそそり立つ標高730mの山の上にあります。高速道路から離れてジグザグ状のかなり勾配がある道を上った標高600mのあたりに城壁があり、この城壁の内側全体が世界遺産になっています。

 

ita2.JPG城門を入ると、ホテルやレストラン、みやげ物店が連なっています。写真?は、93日の建国記念日に、参加者全員が4世紀の衣装を着て集まり、地区対抗の弓の競技をおこなう競技場です。手前の3つの台が弓を射る場所です。

アドリア海側が切り立っている狭い尾根に3つの砦があります。写真?は最高地点にある最大の砦です。写真?はアドリア海側の景色で、見晴らしが良い日にはクロアチアまでよく見えるということです。この写真にもかすかに船が見えます。気候がよく、景色が美しく、食べ物がおいしいサン・マリノは,期待どおりの素晴らしい場所でした。

 

 

ita3.JPG都丸敬介(2010521)

なんでもマルチメディア(622):フィレンツェ散歩

2010428日、カメラだけをぶらさげて、ミラノからフィレンツェに日帰りで行ってきました。ミラノとフィレンツェは300km離れていますが、200912月に開通した高速鉄道のユーロスター・イタリアを利用すると、片道1時間45分です。全席座席指定なので、ミラノ発915分でフィレンツェ着11時と、フィレンツェ発18時でミラノ着1945分の切符を日本で買っておきました。フィレンツェの中心部は駅から歩いて行ける距離なので、たっぷり歩き回って、明るいうちにミラノに帰ってきました。fire1.JPG

クーポラと呼ぶ有名なドーム状の屋根があるドゥオーモ(大聖堂)(写真?)の中は単純な構造で、ステンドグラスがなければ大講堂のような感じです。右側の八角堂「サン・ジョヴァンニ礼拝堂」は11世紀の建物です。

ドゥオーモから300mほど離れた、市庁舎になっているヴェッキオ宮殿前の広場で、プラカードを掲げ、ブラスバンドが続く行列に出会いました。ヴェッキオ宮殿の前にはミケランジェロの最高傑作といわれる「ダヴィデ像」の複製があります?。実物はドゥオーモから300mほどのアカデミア美術館の中にあります。

 

fire2.JPGヴェッキオ宮殿に隣接した、フィレンツェ最大の美術館「ウフィツィ美術館」の入り口を通り過ぎてアルノ川に出て、ヴェッキオ橋を見ました(写真?)。橋の上に店が並んでいます。ヴェッキオ橋の先にいくつもの橋が並んでいる景色は、フィレンツェの写真でよく見かけるものです

ウフィツィ美術館にはルネッサンスの巨匠たちの絵画や彫刻がたくさん並んでいます。キリスト教に関するものが多く、ルーブル美術館のような華やかさを感じません。ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」と「三美神」はこの美術館の目玉だけのことがありますが、美術本で見慣れた色彩よりもくすんでいました。この美術館で3時間ほどの時間を過ごしたあと、初夏のような暑い日差しを感じながら飲んだビールは格別でした。

 

 

fire3.JPG都丸敬介(2010515)

なんでもマルチメディア(621):ミラノの今

 今年(2010年)4月26日から5月2日までミラノに滞在して、春のイタリアを楽しんできました。ミラノに最初に行ったのは1972年です。このときはコンピューター技術の国際標準化委員会に出席することが目的でした。その後も何度かミラノを通過しましたが、町の中をゆっくり見て歩く時間はありませんでした。

 

milan1.jpg ミラノの中心は135本の尖塔が林立する大聖堂ドゥオーモです(写真1)。内部では多くの太い石の柱の重量感に圧倒されます。ステンドグラスも見事です。1900年代の最後のころから2000年代初期にかけて行われた長期間の修復作業が終わって、輝くようにきれいになったドゥオーモの姿を見ることができました。この改修工事で屋根に上るエレベーターが設置されたので、大きな石の板で葺いた屋根の上を歩き回ることができました(写真2)。

 

milan2.jpg レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」の壁画があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂は、1回の入場人数と見学時間が厳しく制限されています。入場券の窓口で聞いたところ、2週間先まで売り切れているということでした。ホテルにおいてある半日市内観光バスのパンフレットには、「最後の晩餐」見学保証とありましたから、観光旅行業者が買い占めているのかもしれません。1972年には予約なしで入場でき、いろいろな角度からゆっくり見ることができました。

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  この教会の近くにあるレオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館にはこの絵の実物大複製があります(写真3)。オリジナルとは建物の雰囲気が違いますが、絵をゆっくり鑑賞できます。この博物館にはマルコーニの電信機械をはじめとする、通信技術や、鉄道、航空機、生物科学など、広範囲の展示があります。学習実験室がいくつもあり、子供たちが熱心に勉強していました。

都丸敬介(201055)

なんでもマルチメディア(620):人生の節目

 私は今日(201033日)77才になりました。人生に幾つかの節目があるとすれば、77才の誕生日はその1つかもしれませんが、日常生活が10年前と殆ど変わらないので、格別の思いはありません。

 最近もっとも多くの時間を使っているのは、シニアパソコン教室ですが、現役時代からの延長で、ときどき企業の中堅技術者研修で「情報通信ネットワークの技術動向」の講義をしています。半世紀にわたって技術革新の最先端を体験した人がほとんど残っていないためか、受講者の強い反応を感じています。

 2日間で12時間の講義をするのは、かなりの体力と集中力が必要ですが、自分で納得できる講義を行うために、体調を整えていることが、日常生活にもよい効果をもたらしているようです。

 この講義では、最初に以下のような10年単位の特徴を整理して、技術の成り立ちや動向を説明しています。

1970年代:新ネットワーク時代の黎明期

1980年代:新通信サービスの発展期

1990年代:ディジタルネットワークの発展期

2000年代:ブロードバンドネットワーク時代

2010年代:サービス融合の時代

 

  このような見出しだけでは内容の説明になりませんが、それぞれの年代に議論したことや、実現したことあるいは実現できなかったことは、若い技術者に伝えるべき貴重な内容を含んでいます。

 

都丸敬介(201033)

なんでもマルチメディア(619):融合と分離

今朝(2010216日)の新聞で、2つの興味深い記事が目にとまりました。1つは日経産業新聞に掲載された「携帯電話産業が、固定通信や放送など異分野との融合による飛躍を目指し始めた」という記事です。もう1つは日本経済新聞に掲載された「テレビが見られるチューナー内蔵のパソコンの存在感が薄い」という記事です。

 

 固定電話と携帯電話の融合や通信と放送の融合といった、各種のサービス融合は目新しいことではありませんが、黎明期から発展期への移行が始まったといえるのかもしれません。携帯端末の通信量(トラフィック)を調べると、自宅でのインターネット利用が急速に増えているということです。このことは、情報通信ネットワークのサービス機能に対する新しいニーズが顕在化してきたことを意味し、これに対応するためにはネットワークの構成やサービス機能の変革が必要になることを示唆しています。

 

 パソコンの販売台数に占めるテレビ受信機能付きパソコンの割合は、2005年の40%弱をピークにして減少が続き、2009年には10%以下になったということです。こうなった最大の原因は、薄型テレビの大画面化と価格低下ですが、部屋のテレビをつけたままパソコンを使うという多くの人の行動様式も無視できません。研究開発が進んでいるIPTV(インターネットプロトコルテレビジョン)が実用になると、ノートパソコンの外付けディスプレイにテレビの画面を表示して、パソコンを操作しながらテレビを見ることができるようになります。マルチメディアの次の時代がすでに始まっているのです。

 

都丸敬介(2010216)

なんでもマルチメディア(618):電子書籍端末

先週、米アップルが発表した電子書籍端末iPadが大きな話題になりました。10年以上前から、話題になりながら書店の片隅にうずくまっていた電子書籍端末が、ようやく日の目を見ることができるようになるのかな、という感じがします。iPadの画面の動きを見ると、昨年このコラムに書いたFlib(なんでもマルチメディア(614))のページめくりの感じによく似ています。

 

 小説や絵本、マンガといった、一般の書店で売られている本のほかに、学会の論文誌のような専門的な書籍も電子出版が急増しています。これらの電子書籍はインターネット接続したパソコンで読めるので、電子書籍端末がなくても困りません。

 

 電子書籍を読んでいて、いつになったら手書きのメモを、読んでいるページに書き込めるようになるのかなということを考えます。小説にメモを書き込む人は少ないかもしれませんが、学生や研究者の多くは教科書や文献にメモを書き込んでいます。本箱の中で20年〜30年ほこりを被っていた本をめくって、自分で書いたメモに出会うと、その本を一生懸命に読んだときのことを思い出すことがあります。単に感慨にふけるだけでなく、新たな発見や思考の飛躍のきっかけになります。

 

 電子書籍端末で読んでいる本のページにメモを書き込めるようになったとして、その本をどこにどのように保管するのかということも大きな問題です。メモ書きしたページは個人的なものです。これを公開することなく、数十年後にも書いた人が簡単に見られるようにすることは、重要な研究課題といえます。

 

都丸敬介(201023)

なんでもマルチメディア(617):ストーンヘンジ

ロンドンの西に約120km離れた、ソールズベリー平原の平坦な麦畑の中に、巨大な石の遺跡ストーンヘンジがあります。この遺跡はいくつもの謎に包まれている、世界的なミステリーの1つとされています。

stone1.jpg これは、石を円形に並べた単純な構成(写真1:解説書から引用)ですが、?構築の目的は何か、?巨大な石をどこから、どうやって運んだのか、?柱のように立っている石の上に、マグサ石という梁のような石をどうやってのせたのか(写真?)、といった謎を解明するために、多くの学者が挑戦しています。

 この遺跡が構築されたのは、紀元前1900年から1600年までの間とされています。これはエジプトのピラミッド建設の1000年後の時期です。

stone2.jpg 石の円から少し離れたところに、ヒール・ストーンという大きな石が1つあります(写真?)。この石は、長さが6.1mで、推定重量は35トンです。柱のように立っている石の重量は、平均30トン、最大50トンというものです。この石材は、ストーンヘンジの近くにはなく、約200km離れた場所から運ばれたというのが定説になっていますが、どうやって運んだのかは分からないようです。

 ストーンヘンジの役割は、宗教的なものという説と、天文学に関係するという説があります。石の円の中心から見ると、夏至の太陽がヒール・ストーンから昇ることが、両方の説の根拠になっています。

stone3.jpg1960年年代に、英国生まれの天文学者ジェラルド・S・ホーキンズがコンピューターを使って、ストーンヘンジから見た、紀元前1500年の太陽と月の出入り時刻を計算しました。そして、ストーンヘンジ全体が、厳密に計算された、太陽と月の観測設備だという論文を発表しました。

 私は1980年代のある日曜日に、ロンドン発の1日観光バスに乗って、ストーンヘンジに行きました。写真で見た感覚とは違う石の重量感に圧倒されましたが、それ以上に、周囲の広々とした麦畑に、日本では味わえない空気を感じました。

都丸敬介(2010年1月11日)