なんでもマルチメディア(609):クラウド・コンピューティング

昨年(2008年)から新聞やコンピューター関係の雑誌などで取り上げられることが

多くなった「クラウド・コンピューティング」の具体的な利用例が見え始めてきまし

た。

 これは米グーグルのシュミットCEOが提唱した、インターネットを介してコン

ピューターのアプリケーション機能や機器を利用するサービスで、いわゆるネット

ワーク・コンピューティングと同じ概念といえます。ネットワークを図形表現すると

きに雲の形で描くことからこの言葉が生まれたとされています。

 いくつかの有力企業が推進しているクラウド・コンピューティング・サービスは、

いずれもデータ処理機能提供サービスです。サービス提供事業者のコンピューター

(サーバー)の中にあるアプリケーション・プログラムをユーザー端末から遠隔利用

することで、ユーザー端末にはアプリケーション・プログラムを実装する必要がなく

なります。これはSaaS(ソフトウエア・アズ・ア・サービス)と同じことです。

 初期の段階で提供されるサービスは、文書作成や表計算、プレゼンテーションと

いった、パソコンのオフィス・ソフトで実現されている機能です。これらの機能を実

現するソフトウエアは機能追加や修正が頻繁に行われているので、ユーザー端末から

削除できることは、企業の情報システム担当者の負担を大幅に減らす効果がありま

す。

 しかし、個人のパソコンユーザーが利用しているアプリケーション・プログラムは

種類が多いので、クラウド・コンピューティングを個人ユーザーに浸透させるために

は多くの課題があります。この分野の知恵比べが活発になってきました。

都丸敬介(2009.8.30)

なんでもマルチメディア(608):次世代のインターネット

インターネットのルーツとされる世界最初のパケット交換ネットワークが稼働した

のが1969年、現在のインターネットの基幹技術であるIP(インターネット・プロトコ

)が導入されたのが1983年、商用インターネットサービスが世界的に広がったのが

1990年代前半、というインターネットの歴史を背景に、次世代のインターネットの議

論が活発になってきました。

 

 IEEE(米国電気電子学会)の通信関係の学会誌「IEEEコミュニケーションズ・マガジ

ン」の20097月号に「将来のインターネット=コンテンツ+サービス+管理」とい

う論文がありました。この論文の中心は、将来のサービスに対する要件と、それを実

現するために考慮すべきことの指摘です。飛躍的な発想は見あたりませんが、イン

ターネットを利用する個人を中心とするサービスの拡大を重視しています。「あらゆ

る個人データがインターネットの中に蓄積される、そして、個人が情報提供者にな

る。こうなるとサービスの節度が重要なテーマになり、プライバシーやセキュリ

ティ、ユーザーの信頼といった、ネットワーク管理面の機能が差別化と収益に大きく

影響する」という内容です。

 

 この論文を読みながら、英国の作家ジョージ・オーウェルが1948年に書いた小説

1984年」を思い出しました。

 今でも個人情報をインターネットに蓄積し、その情報にもっとも大きな関わりをも

つ当事者の手元には何も残っていないという現象が起きています。当事者の手から離

れた情報が巨大なゴミになって人類共通のインターネット資源の中に堆積するという

状態をどう考えるのか、という議論も必要です。

 

都丸敬介(2009.8.16)

なんでもマルチメディア(607):官僚たちの夏

 TBS9時の日曜劇場という1時間番組で、7月から城山三郎さん原作の「官僚たちの

夏」という連続ドラマを放送しています。昨日(82日)の内容は、1960年頃の日本

のコンピューター産業の育成が主題だったので興味深く見ましたが、後味がよくあり

ませんでした。

 

 事実に基づいた作品だといっても、ドラマですから、どの部分に焦点を合わせるか

によって、内容が偏るのはやむを得ませんが、当時の日本の技術力を過小に表現した

という印象を強く感じました。

 

 1960年に私が所属していたNTTの研究室では、すでに国産のコンピューターが稼働

していました。そして、コンピューターの研究開発が精力的に行われていました。米

国のトップレベルの製品と比較すると、国産コンピューターの性能は劣っていました

が、商品化は進んでいたのです。こうした技術の積み上げと人材育成があったからこ

そ、1970年代には米国のコンピューターと競争できる国産コンピューターが実用に

なったのです。コンピューター産業とは直接的な関係はありませんが、日本情報処理

学会が日本側の窓口になった日米コンピューター会議という日米合同研究会が、1970

年代に何度か開かれました。

 

 その後、1980年代には国産の基本ソフト(OS)が日米の貿易摩擦問題に引き込まれ

て犠牲になるという出来事がありました。このとき官僚たちがどのような駆け引きを

したのか、その功罪を明らかにするドラマがあってもよいのではないでしょうか。

 

都丸敬介(2009.8.3