2008年5月31日、垂直尾翼に丸い鶴のマークを描いたJALの旅客機が最後のフライトを行ったことがテレビや新聞で一斉に報道されました。最後のフライトは鶴丸ファンで満席になったということですが、私も鶴丸マークのJALにはいろいろの思い出があります。
1973年にパリでIT技術の標準化会議が開かれたときに、参加者全員が会議主催者から夕食会に招かれました。会議終了後の午後8時にレストランに集まり、解散したのが午前3時という、私が体験した最も長時間の夕食会でした。私はフランス規格協会の会長夫人の隣の席を指定され、日本の文化についていろいろな質問を受けました。話題の内容は覚えていませんが、一つだけ記憶に残っていることがあります。
折り紙の話になり、鶴の折り方を教えてあげました。何人かで鶴を折ったところ、一人の手が滑って白い紙の折り鶴に赤ワインがかかりました。そこで私が「鶴がワインを飲んで赤くなった、この鶴はJALのシンボルだ」といったことを話したところ、大いに盛り上がりました。
1970年代初期にはまだ成田空港がなく、羽田空港を利用していました。公務の出張となると、大勢の人が空港まで見送りにきて、搭乗が始まると拍手で送られるという時代でした。その後航空機の機種や機内設備、機内サービスなどが大きく変わり、JALの垂直尾翼のマークも変わりました。鶴丸のマークが半世紀の間使われたというのは大変なことだったと思います。
都丸敬介(2008.6.2)
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