イスラエルとヒズボラの意味がない(と思われる)戦争が、つかの間の沈静状態に入ったのはよいけれど、まだ危ない状態が続いていることに胸が痛みます。
1988年にテルアヴィブで、コンピューター・ネットワーク技術を主題とする、大規模の国際会議が開かれました。いまから振り返ると、この時期はイスラエルが平和国家としての本格的な歩みを始めたと考えられていたときでした。会議の開会式で、主催者が「イスラエルもこのような会議を主催できるようになった」と挨拶し、ステージでハープとフルートの演奏が行われました。
過日、ヒズボラのロケット弾が着弾した、レバノンに近い先端工業都市ハイファを訪問したときのことです。若い女性の案内者から受けた、これからの国造りの熱心な説明を今でも思い出します。沙漠を農耕地に変えるために、国のリーダーは最初に松の木の大規模な植林をしたというのです。松は荒れ地でも根がつきやすいのがその理由です。最初の植林から20年くらいたって、松の落ち葉で土地がいくらか有機質に変わると、松の代わりに樫の木を植えます。100年くらいたつと、立派な森になって、森の周囲も豊かな農耕地になるはずだという説明でした。
テルアヴィブとハイファの間に、古代ローマ人が建設した、煉瓦積みの大きな水道の遺跡があります。ローマ人はこうした立派な設備を作ったけれども、その後で侵攻してきたトルコ人がみな破壊してしまった。だからトルコ人は大嫌いだというのです。100年単位で数える昔の出来事をつい最近のことのように話した若い世代の人たちが、その後どうなったのか気にかかります。
イスラエルは、機会があればもう一度訪ねてみたい国です。
都丸敬介(2006.08.28)
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